五行川低地には、多くの湧水池や支流があったが、整地事業や各種土木工事によりその姿を消していった。水は米づくりを中心とした農業に欠かすことができない。水を大量に使う農繁期はもちろんのこと、農作業がない期間でも、用水や湧き水の維持管理は地域住民の重要な仕事の一つであった。
苗代しめが始まる直前の「川普請」と呼ばれていた仕事もその一つであった。地区によっては「モク上げ」とか「堀さらい」とも呼ばれていた共同作業であった。厳しい寒さがゆるみ、畦の雪も消えたころ、地域の人々が土手の修理をしたり、用水に溜まった泥やゴミをきれいにし、水路を確保する。仕事が一段落すると、当番の家で、おにしめや赤飯を食べたり酒を飲み交わして、秋の実りを祈願した。
水への期待と祈りが高まると、涸れることのない湧き水や沼への畏怖の念がつのり、湧き水や沼に神々が宿ると考え、湧き水や沼を汚すことを畏れ慎んだ。その思いが水神信仰となり、湧き水や沼を汚すことを諌める伝承を生み出していったのであろう。