その沼の近くの庄屋の家におだきという名の娘が奉公勤めをしていた。美人で働き者だったので、庄屋の主人も大切に使い、まわりの人たちもおだきを可愛がっていた。庄屋には息子がいて、いつしか、おだきはその息子を好きになっていった。しかし、身分の違いがおだきを苦しめることになった。苦しい胸の内を判ってくれる人は誰もいない。おだきは息子への思いを断ち切ろうと、さらに奉公勤めに精を出した。
やがて、庄屋の息子に縁談が持ち上がった。しかし、相手はおだきではない。おだきは悲しみと苦しみに耐えることができず、庄屋の息子の華やかな婚礼の夜、とうとうその沼に身を投げて死んでしまった。彼女の死を悼んだ人々はいつしかその沼を「おだきさん」と呼び、小さなお堂を建てて、彼女の冥福を祈ると共に、家内安全祈願や豊作祈願をするようになった。
また別の伝承では、家は貧乏だったが美人で働き者のおだきという娘がこの沼の魚を獲って生計を立てていたが、ある日、あまりにもたくさんの魚が獲れて夢中になってしまったので、沼の主の怒りに触れ、この沼に引き込まれてしまい亡くなったので、その沼を「おだきさん」と言うようになった、とある。
(『子どもが書いた ふるさとの伝説集』)
何本かの杉の木に囲まれた「おだきさん」は、現在高根沢町の文化財に指定されている。杉木立の間に立派な鳥居が建てられ、池のほとりには「滝尾神社」「日吉神社」「水天宮」「雷神社」と、水に関係した神々が鎮座していて、往時、地域の人々の篤い信仰や寄進を集めた歴史を今に伝えている。
水の神は、女性にたとえられることが多い。女性は生命を生み育てる、重要な役割を持っている。水もまた、人間の生命そのものを支えている。農業は大地の生命をいただく仕事である。その大地を育む水の生命と生命を生み育てる女性が結びつくのは決して不自然ではない。
図1 哀れな悲恋物語を秘めて眠る「おだきさん」の森(上高根沢)