この沼にはたくさんの魚が住んでいたので、近くにここの魚を獲って暮らしていた娘と父親が住んでいた。父親の名は寅三と言って、手先が器用だったので、鉄の鍋や釜、鉄瓶の修理をするイカケ屋もやっていた。だから、その地域では「イカケ屋寅さん」と呼ばれていた。また、娘はおていと言い、父親譲りの器用さで近所の人々から頼まれた縫い物を上手にこなしていたので「おていさん」と親しまれていた。しかし、イカケや針仕事だけでは生計が思うようにいかなかったので、春には春の魚、夏には夏の魚と、豊富な天沼の魚を獲っては売り歩いて暮らしていた。
やがて、いつごろからか、夜毎おていさんの所に若い侍が通うようになった。そして、二人は相思相愛の仲になった。おていさんはその侍の名前と出生地ぐらいは知りたいと何度も尋ねたが、そのたびに侍は話をそらして名前もどこから来るのかも教えようとしない。
不審に思っていた矢先、尋ねてきた侍の顔を見ておていさんは驚いた。それもそのはず、若い侍の顔は今までと打って変わった形相になっていたのである。黒紫色の顔に目だけが異様に光っていて、脹れ上がった皮膚からは異臭さえ発している。呆気に取られ口をあけたままのおていさんに若侍は、「俺は天沼に住んでいた池の主である川獺なのだ。俺はお前が使っていた折れた針が刺さって体中を廻ってしまい、その毒で死んでゆく。だから、俺の後をつけて来てはいけない」と言って姿を消した。
ちょうど、それから七日過ぎた朝のこと、近くの漁夫が大きな川獺の死骸を網にかけた。引き上げられた川獺はブヨブヨになって体毛もすっかり抜け落ち臭気が辺りを包み、集まってきた人々も顔をそむけるほどであった。人々は大騒ぎをしながら川獺の死骸を埋めた。
おていは川獺の死体を見ようともせず、自分の部屋でかつて祖母が言っていたことを思いだしていた。祖母は、「女は縫い物ができることが一番だ。だから針は大切にして、決して折ってはいけない。針は魔物と同じで、針が体に入るとその毒で死んでしまう」と、いつもおていに言って聞かせていたのだった。
(『高根沢町の伝説集』)
この伝説は、「蛇婿入り」として、日本全国に伝承されている昔話や伝説の一つである。「蛇婿入り」のあらましは次のようになっている。
若い娘が住んでいる家に夜毎若い侍が訪ねてくる。やがて、その侍を怪しんだ母親や娘が侍の着物に縫い針を刺し、その糸をたどって居場所を突き止める。若い侍は実は大蛇で洞穴に住んでいて、人間の娘に子供を宿してきたと大蛇の母親に言う。母親は、人間には気をつけろ、たとえ子供ができても菖蒲湯に入れば流れてしまうし、我々は針の毒には弱いと話しているのを聞く。娘は菖蒲湯に入り難を逃れ、大蛇は針の毒がもとで死んでしまう。
高根沢町では、訪ねてくる若い侍が大蛇ではなく川獺となっていたり、若い侍の着物に縫い針を付け糸を頼りに侍の居場所を突き止め難を逃れるという展開も見られない。全国に流布している伝承は、結末に五月五日の菖蒲湯由来という農耕儀礼も伴っているのであるが、高根沢町の伝説では針供養を連想させる伝承になっているところに、地域文化の特色がうかがわれる。
隣の芳賀町の芳志戸地区には、五行川の渕の底にある竜宮城から若侍が旧家の娘の所に通ってきて、縫い針のせいで身元が判ってしまい竜宮に帰るが、竜宮のお碗を残して行ったり、田植え時期にワラツト(藁苞)に入れた赤飯を五行川の渕に投げ入れて豊作を祈るという伝承が残っている。
この「蛇婿入り」伝承は、遠く古代の『古事記』や『日本書紀』にも記録されている伝承で、神が蛇に姿を変えて娘と結婚するという「三輪山伝説」に端を発していると言われている。それだけ人々の記憶に残り、それぞれの時代の文化に深く関わりを持ちながら、さらにまた、地域の生活文化と深く結びついて豊かな言語伝承を形成してきたのであろう。