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〔桜観音〕

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   桑窪から柏崎に向かって行くと、山の頂にひときわ大きな桜の木が見えてくる。枝が逆に下の方に向って伸びているために、木が逆さに生えているようにも見える。
   この近くを「辰街道」という奥州へと続く道が通っている。その昔、八幡太郎義家が奥州の安倍氏の反乱を鎮圧に行く時にこの「辰街道」を通って行ったのだが、ここで昼飯を食べた。その時桜の木でできた箸を使って食べ、その箸をここに挿して残していったところ、それが根付いて見事な花を咲かせるようになったのでその名がついた。
   また一説には、源平の合戦で大活躍した那須の与一がこのあたりまで来て、お昼時になったので昼飯にして一休みしようとしたが、あいにく箸がなかった。そこで、近くの桜の枝を折って箸にして食事をし、食べ終えた木を挿して行ったところ、逆さになったように木が伸びて立派な花を咲かせ、やがて、根元に観音様が祀られるようになった。そこから誰言うともなく「桜観音」と呼ぶようになったと伝えられている。
(『子どもが書いた ふるさとの伝説集』)

 
 逆さ杉や逆さ榎など、まるで逆に生えているかのようになっている大木や老木は、八幡太郎や九郎判官義経が挿して行った杖が大きくなったのである、という伝承がこの近辺には多い。ある時代を画した英雄が残していった不思議な出来事を語る伝説は、神仏の加護を得て化物退治をする「英雄伝説」の他にも、その英雄にまつわる多くの物語を生み出していった。
 「辰街道」は隣の芳賀町へも通じていて、芳賀町芳志戸地区にはそこで休憩した八幡太郎が持っていた杖を挿して残していったところ、逆さに生えた榎になったので「逆木八幡」として祀ったのだという伝説や、先にも述べた南那須町鴻野山の長者屋敷を焼き払ったという伝説が残されている。「辰街道」は、八幡太郎義家の伝説に深く関係した街道でもある。

図6 八幡太郎義家の伝説を残してそびえる桜の木(南那須町八ケ代)