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〔大柊の祟り〕

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   戊辰戦争のおり、会津軍に味方して官軍に攻め込まれた宇都宮城からなんとか逃げ延びた女性たちがいた。彼女たちは、幼い姫君をかばいながら上阿久津までやってきたが、悲嘆の中、姫君は息絶えた。残された侍女たちは姫君を手厚く葬り、柊を植えて会津方面に逃げ延びて行った。
   やがて、その柊も大きく育ったが、人が近くを通ると怪我をしたり、枝を切った者が重い病気になったり、さらには、死んだりすることが度重なった。
(『高根沢町の伝説集』)

 
 柊は、節分の豆まきの時に大豆の茎で刺したヤッカガシ(鰯の頭を燻して唾を付けたもの)と一緒に戸口に挿して、悪い病気が入ってこないようにする木でもある。
 年中行事で大切にされている木や草は非常に多い。門松に使う松や竹といった代表的なものの他にも、マユダマを付けるミズの木や樫、小豆粥をすする時や庭の堆肥塚に挿すヒエボー・アーボー(稗棒・粟棒)に使うヌルデ(ノデッポウ、または、ノデンボウとも呼ばれている)、あるいは、五月五日の端午の節句の時に搗く餅に入れる蓬(餅草と呼ぶ地域も多い)、そして、その餅を包む柏の葉や軒端に挿したり菖蒲湯に使う菖蒲など、農耕儀礼や家内安全を祈願する大切な素材として、身近にある草や木は私たちの生活に深く結びついているのである。
 柊に託して、戦乱の世に犠牲を強いられていた女性たちの悲しい歴史を語る伝説はあまり他に類を見ない。しかし、年中行事で使われてきた柊の神秘性と時代の犠牲になっていった女性たちの悲痛な叫びが、祟りを残す伝説と交じり合って語り継がれてきた、高根沢町独特の伝説ではある。

図7 戊辰戦争にまつわる伝説を秘めている大柊(宝積寺)