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〔稲荷信仰と伝説〕

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 稲荷神社は、真っ赤な鳥居の伏見稲荷や笠間稲荷で有名であるが、稲荷信仰は古代から農耕信仰と深く結びついて、さまざまな伝承の中に現われてきた。多くは、狐が稲荷明神の化身だったり眷属として語られてきた。
 狐は里山に住み着き、畑と森の境に崖や土手に洞穴を作り住んでいる。時には、畑の農作物を食い荒らしたり、鶏を盗んだりと人間の生活を脅かす存在として怖れられてきた。また、その多産ぶりや素早い動きから不思議な力を宿していると人々が受けとめてきたのであろう。こうした狐と人間との交渉が、狐を田の神の化身と考えるようになっていった。さらに、狐は油揚げが大好きなのでお稲荷さんに油揚げを供えたり、初午の日には藁筒にシモツカレと赤飯を入れて供えるという、五穀豊穣を祈る習慣が広く行なわれるようになった。
 あるいは、那須の殺生石の伝説で知られている金毛九尾の狐は、実は玉藻前という絶世の美女であったという伝説や、平安時代に大活躍したという陰陽師の安倍晴明の母親が狐であったという伝説も歌舞伎などで広く伝承されていて、狐と人間の関係は、蛇と人間の関係と同じように深いものであった。
 さらに、宝積寺には、狐窪という地名が残されていて、かつては狐がたくさん住んでいて、「狐の提灯行列」や「狐火」が見られたという。今では鉄道が引かれ交通交易で賑わいを見せているが、かつては、豊かな自然の中で、動植物との交流を通して地域文化を育成してきたのである。