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〔釜淵〕

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   上阿久津・中阿久津・宝積寺三地区の用水堰を「釜渕」と呼んでいたが、その用水路開鑿の難工事にまつわる伝説である。
   用水開鑿が無事成功するようにと、正月が来ても餅をつくことなく過ごそうと村中で決意した。その願いが叶ったのか、数年ならずして、一人の怪我人も出すことなく、用水路は完成した。しばらくは先人たちの苦労を思い、正月に餅をつく家はなかったのであるが、ある年、つい禁を破り餅をついた家があった。そのためか、その村が全焼するような大火災になり、改めて禁を破った恐さを知った。だから、今でも正月には餅をつかない家が多いのである。
   一説には、上阿久津地区は稲荷信仰が強く、正月には狐の好きな赤飯を稲荷神社に供えて、その年の豊作と家内安全を祈願していたので、餅をつくのではなく赤飯を炊くのだという。
(『高根沢郷土誌』・菊地重雄)

 
 この伝説は直接に稲荷信仰を語るものではないが、正月に餅をつくのではなく、赤飯を炊いて稲荷神社に供えるという伝承が残されているので、ここに記録した。
 正月に餅をつかないという伝承は国内に広く伝承されている。米が貴重であった時代、汗水を垂らして田畑を切り開いてきた先祖の苦労を忘れないために、蓑笠を着て芋串を食べる地域があったり、餅をついているときに火の不始末でその家ばかりではなく地域一帯が消失してしまい、その戒めを伝えるために餅をつくのではなく赤飯を炊くのだと言い伝えられてきた。正月に餅をつかないで赤飯を炊くのは、米が貴重で神聖な食物であったという、稲作起源を語る伝承として考えられているが、赤飯の赤い色が火事の記憶に繋がって、禁忌を破った戒めとごちそうとしての赤飯のめでたさが交じり合ってきた伝承でもあろう。
 今は豊かな土地と生産に恵まれた高根沢町であるが、その陰には先祖のたゆまぬ努力があってこそという歴史を忘れてはなるまい。