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〔赤堀玄番のこと〕

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   赤堀玄番は、すばらしく足の速い盗賊で、一反の木綿を背中に付けて走っても、その先端が地面に着かなかったという。芳志戸に住んでいた芳志戸左門や金井の金井とさという大泥棒と共謀しては金持ちの家から金品を盗み、まずしい人々に分け与えていた。その所業はみごとで、家族の者も気づかないほどの早業であった。
   ある時、三人は日光東照宮の山額を盗んで、大谷川を下ってこようとしたが、とうとう御用となった。
   しかし、地元では玄番の義賊ぶりを偲んで玄番地蔵を建てた。旧暦の一月二四日を縁日として甘酒とだんごが振る舞われ、今でも参詣者が絶えないという。
   石末の赤堀には、玄番が住んでいたとされる「玄番屋敷」という字名が残され、また芳賀町芳志戸には、盗みをする時にのろしを上げた場所にちなんだ「火振り塚」という字名が残されている。
(斎藤 甲・小川典男・古口利男)

 
 「鼠小僧」や「石川五衛門」など、いわゆる『義賊伝承』と呼ばれている伝説である。こうした庶民の英雄は、どこか滑稽さも持っていて、胸のすくような大活躍をしたかと思えば、最後には大失敗をする。人生そんなに甘くはないということであろうか。
 日々の暮らしの中で喜怒哀楽を味わいつつも、何か満たされない思いを、伝説の人物がその喜怒哀楽こそ人間を豊かにするのだと教えてゆく。
 芳志戸左門も、芳志戸の英雄として、家族に知られることなく火振り塚に烽火を挙げ、一反木綿を地に着けることなく走り金持ちから金品を盗んでいる。

図12 玄蕃地蔵 赤堀玄蕃をしのび今も尊敬を集めている(石末)