ある日のこと、店でいつものように休んでいた馬方達が、西の台の山中には追剥ぎが出るので通らないほうが良いと話し合っているのを息子が聞いた。息子はなぜか胸騒ぎを覚えた。夜になると、父の六兵衛は決まってどこかに出掛けたり、押入から着物や刀を包んだ荷物が出てくることがあったからである。
息子はもしやと思い、ある夜、西に向かう父の後をつけて行った。すると、西の台で仲間から荷物を受け取っている父の姿を見てしまった。翌朝、思い詰めた息子は、父と一緒に焼け死のうと家に火を放った。すぐに気づいた六兵衛は難を逃れることができた。しかし、燃え盛る炎の中から、もう追剥ぎは止めてくれと言う息子の悲痛な叫び声が聞こえてきた。
六兵衛は自分が犯した罪の深さを悔い、息子や馬の供養を込めて、火伏せの神である騎乗愛宕の石仏を彫り西の山に安置した。そして、僧に身を変えいずこともなく立ち去っていった。
(『高根沢町の伝説集』)
元武士という貴人性を持ちながらも、盗賊の身に落ちぶれ悲劇の末路をたどる。伝説の典型を「六兵衛」は生きている。
『平家物語』に、源氏の武将熊谷直実が平家の若武者平敦盛と一騎打ちをして殺すが、息子と同じ年ごろの若者を殺してしまった罪深さから世の無常を感じ出家するという物語がある。仏教の教えを史実と結びつけて庶民にもわかりやすく説く「仏教説話」として、広く伝承されてきたものである。この伝説もそのような「仏教説話」の流れの中で、火事の恐ろしさを説いた「愛宕神」と結びついて広く伝承されてきた伝説であろう。