1597年に,初代(しょだい)宇津権右衛門(ごんえもん)が,上高根沢村の西根に帰農(きのう)したのが宇津家のはじまりです。権右衛門はもとは,宇都宮(うつのみや)のとの様に仕えていました。半農半医の家業から『宇津のひ薬』として救命丸をつくりました。父から後つぎにだけつくり方を教える家伝薬(かでんやく)として初(はじ)めは近くの人たちに分け与(あた)えていました。
宇津家は,一橋領(ひとつばしりょう)上高根沢の名主(みょうしゅ)として地いきを治(おさ)めていました。
5代目権右衛門(逸翁(いつおう))のときに,徳川一橋家(とくがわひとつばしけ)にお子様用薬として「金き救命丸」をけん上してから,特(とく)に有名になりました。
- 〇帰農
- もと役人(宇都宮氏の旧臣(きゅうしん))が農業を営(いと)むようになったこと。