おだきさん (上高根沢)

薄幸の美しい娘「おだきさん」の入水伝説により地元民から愛護されてきた町指定史跡。清澄な池と水路には今もかつての田園の姿が残されています。

おだきさん

◆民話語りを聞く

昔、高根沢町上高根沢に「おだきさん」という器量よしの娘がいたと。気立てもよく、働き者なので、むらでも評判の娘だったと。おだきさんの家は、貧しい百姓だったが、両親と子ども三人、なかよく暮らしていたと。
 ところが、江戸時代の天明の時に大飢饉があってな、その年は、梅雨に入っても雨は降らず、夏になっても冷たい風が吹き、朝晩にはハンテンを着るようだったと。
 このようなお天気の具合が悪い時に、一番困ったのは、たくわえの無い貧しい百姓だった。米どころの上高根沢も被害を受けて、米はもとより、麦もトウモロコシも、野菜もろくに採れなかった。それで貧しい百姓たちは、蛇や蛙、草っ葉、草の根っこまで、食えるものは何でも食ったという話だ。
 おだきさんの家でも、種もみまで食ってしまって、これから先
 「どうすっぺ」
って悩んでいた時に、上高根沢廻り谷(めぐりや)の弥平(やへい)さんから、
 「給金のかわりに、麦などやっから、奉公にこねえか」
という話があったんだと。弥平さんは、むらの庄屋様で、大勢の奉公人を使っている大地主だったと。それでおだきさんは、奉公に上がったというわけだ。
 奉公にあがったおだきさんは、畑仕事、田んぼ仕事、家の中のことまで、毎日くるくる動き回って、陰ひなたなく働いたと。それで、弥平さんやおかみさん、それに奉公人仲間からも、
 「おだきさん おだきさん」
って、かわいがられたという話だ。
 ところで、弥平さんの家には、跡とりの弥一(やいち)というせがれがいたと。おだきさんは、弥一さんの身の回りの世話まで、真心こめてしていたと。弥一さんも、すっかりおだきさんを気にいって、何事につけ心配りをしてくれたと。弥一さんは、おだきさんの姿が見えないと、
 「おだきさんはどうした。今日はどこへ行った」
って、大騒ぎをするしまつなんだと。
 それでおだきさんもいつのまにか、弥一さんを好きになっていたと。それでも、
 「私と弥一さんは、身分が違うから……」
と思ってあきらめていたんだと。
 そんなある日、弥一さんに縁談が持ち込まれた。その相手というのは、隣むらで、やはり庄屋様をしている家の娘で、これまた器量よしで評判の娘だったと。それで、とんとん拍子に話がまとまり、結婚が決まったんだと。
 おだきさんは、この話を聞いた時、
 「弥一さんが幸せになれる」
って、心から喜んだと。ところが、日がたつにつれて、おだきさんは、食べ物がのどを通らなくなってしまったと。それでも仕事は休まずに働き続けたので、とうとう倒れてしまい寝込んでしまったんだと。
 そしたら弥平さんやおかみさん、弥一さんまでが枕元にきて、
「おだきさん、どうした。早く元気になれや、食いてえもんはねえか、遠慮しねえで言え」
って、やさしい言葉をかけてくれるんだと。そしてお医者さんまで呼んでくれたと。それでも、おだきさんの病は重くなるばかりで、良くならなかったと。
 そして、ついに弥一さんの婚礼の日がやってきた。むらの人たちも大勢集まり、ご馳走を作ったりと準備に忙しかったと。  おだきさんは、やっとの思いで床から起きあがると、部屋をきちんと片付け、自分も身づくろいをし、生まれて初めてという口紅をさし、家の裏庭から森の方へそっと出て行ったと。
 森の中には、泉があって、岸には大きなモミジの木が、水面まで枝を伸ばしていたと。その枝によじ登ると、誰にも話すことのできなかった弥一さんへの想いを、熱い涙に込めて、ぽとり、ぽとりと水面に落としたかとおもうと、ザブーンと泉へ身を投げてしまったんだと。それっきり、おだきさんの姿は浮かんでこなかった。
 それからというものは、どんなに日照りが続いても、その泉の水はかれるということがなくなったと。おだきさんが落とした涙のちょうどそのところから、コンコンと清水が湧き出して、弥一さんの田んぼはもちろんのこと、周りの田んぼをも潤し、今も涸れることなく上高根沢地区の田んぼを潤しているという話だ。
 おだきさんの死をあわれんだ人々は、いつしかその泉を「おだきさん」と呼ぶようになった。
(再話/和地芳江)

 おだきさんの伝説がある泉は、高根沢町上高根沢の水田地帯の中にある。この泉のある地域一帯は、五行川・野元川の作る低地で、江戸時代は伏流水が各所で湧き出し、湿地が多く、水はけの悪い土地であった。明治期以降次第に耕地整理が行き渡り、現在、湿地は改良され、湧水もおだきさん一つになってしまった。おだきさんのほとりには、滝尾神社、水天宮、雷神社など水と関係した神々が祭られている。水の神は、女性にたとえられることが多い。ともに生命を生み育てることからであるが、おだきさんの話もそうした水神と女性のつながりを示すものである。
(話者・協力者/高田勝弘)

『語りべが書いた「下野の民話」』柏村祐司/下野民話の会[編]より