〔口絵〕

本編第一巻を発刊するにあたって

凡例

宝塚市史第一巻 目次

序章 たからづか

宝塚の土地

大地の歴史

祖先の誕生

縄文・弥生の時代

銅器と集落の特徴

古墳時代

説話と伝承

律令国家の成立

道路と社寺

荘園時代

中世の村と村びと

近世の開幕

明治期と宝塚

温泉と歌劇と住宅地

第一章 宝塚の自然とその成立

第一節 二つの山地と一つの平野

宝塚の立地条件

人工衛星からみた宝塚

母なる武庫川

大地の割れ目

宝塚市の立地条件

山地と平野の対立

地質の二大区分

山地と平野

基盤岩類と被覆層

第二節 大地のなりたち

地向斜と古生層

本州地向斜と本州変動

近畿の基盤構造

丹波層群

領家帯の岩石

中生代の火成活動

燕山運動

西南日本の火成岩類

火成岩類の区分

有馬層群

流紋岩熔岩

花こう岩類

六甲山地の花こう岩類

岩脈と鉱脈

第一瀬戸内海と神戸層群

第一瀬戸内海

神戸層群

サヌカイト

第二瀬戸内海と大阪層群

湖から内海へ

大阪層群

段丘層と沖積層

段丘の区分

海進と海退

縄文海進

沖積層の形成

中・高位段丘

第三節 動く大地

谷中分水界と断層谷

谷中分水界

うねる日本列島

断層谷と格子模様

北摂山地と大阪盆地の分離

縮みゆく近畿

有馬―高槻構造線

六甲山地の上昇と段丘の形成

高位段丘面の変位

高位段丘の形成

かくされた扇状地

中位段丘の形成

地震と断層

断層と地震

宝塚と微小地震

温泉と鉱泉

温泉の発見と開発

泉質

第四節 自然の歴史

大地の歴史

地球史のなかで

地向斜から火の海の時代へ

第一・二瀬戸内時代

自然の幾何模様

地塊運動と平野の分離

高・中位面の形成

低位面の形成

くいちがう段丘

植生の変遷

メタセコイア植物群

氷期と間氷期の植物

最後の氷期と人類の時代

白砂青松

自然の恩恵と災害

武庫川の水利

水質の特徴

石と文化

風水害の記録

良元工営所

阪神大水害

風水害の素因

宝塚と地震

第二章 文化のあけぼの

第一節 かりとすなどり

土器のない時代

宝塚市内最古の石器

土器のない時代の発見

土器のない時代と人類

石の道具

宝塚周辺のそのころ

宝塚市内で採集した石器

土器の出現

土器と縄文時代

人びとの生活

宝塚周辺の縄文遺跡

立地条件が変化する縄文晩期

第二節 米づくりとむらのくらし

米づくりのはじまり

弥生時代

弥生前期の遺跡

あらたな生活用具の出現

米づくりと土壌

前期遺跡のない宝塚

もたらされた河内の土器

弥生集落の担い手

集落を画する大きな溝

広がる米づくり

増加する集落

集落と墓

銅鐸と祭り

銅剣・銅鉾・銅戈と祭り

広範な地域交流

そのころの宝塚

特異な高地性集落の出現

石製武器の発達

魏志倭人伝と弥生時代の社会

くにへのあゆみ

低地につくられるあらたな集落

生活用具の変化

再びつくられた高地性集落

銅鐸の祭りの終わり

弥生時代終末の西摂平野

弥生時代を通じてみた宝塚

第三章 古墳と伝承

第一節 猪名川と武庫川の開発

開発の説話

伝承・説話の性格

『住吉大社司解』にみえる説話

古代の生活圏

生活圏内の人びとの生活

地方の小君主

猪名県と県主

国造制

摂津国造凡河内氏

凡河内氏の根拠地

第二節 古墳は語る

古墳のあらわれるまで

古墳とは

古墳時代の時期区分

古墳発生の上限

弥生時代の墓

弥生時代の木棺

墓と銅鐸と伝世鏡

首長と司祭者

新しい権力者

安倉と万簸山の古墳

前期の古墳

□烏七年鏡出土の安倉高塚古墳

もう一つの赤烏年号銘鏡

石室をよくのこす万籟山古墳

忘れられた八州嶺古墳

表六甲の前期古墳

西摂平野の前期古墳

桜塚と塚口の古墳

中期の古墳

副葬品にみる変化

馬具の出現

武器の副葬

葬られた武人

平野南部に古墳がつくられる

宝塚市内の中期古墳

桜塚に集中する古墳

古墳の規制

猪名川西岸の塚口古墳群

四・五世紀の西摂平野

横穴式石室古墳の出現と白鳥塚古墳

横穴式石室古墳とは

横穴式石室の採用

須恵器の生産はじまる

後期の古墳

首長たちの墳墓

西摂に横穴式石室があらわれる

西摂で最大の横穴式石室

雲雀山東C1号墳

中山寺の白鳥塚古墳

首長たちの葬られた横穴式石室古墳

長尾山の古墳群

市内に多い後期古墳

古墳への関心と調査

失われた古墳

市内における後期古墳の分布

西谷で発見された後期古墳

群集墳の意味するもの

長尾山の群集墳

仁川旭ガ丘の古墳群

宝塚の後期古墳

平井と雲雀山の小型横穴式石室古墳

小型横穴式石室古墳

宝塚での再検討

小型石室墳の分布

各古墳群の大要

石室の規模

小型横穴式石室古墳の構造

鉄釘と木棺

陶棺片を採取

出土した遺物

残された問題

葬られた人びと

未調査の平井窯跡

火葬墓の出現と新しいうごき

米谷の蔵骨器

中筋字平井出土の八稜鏡

唐式鏡と勅使川窯跡

消滅した寺畑廃寺

皇朝銭の出土

第三節 住んでいた人びと

『新撰姓氏録』にみえる人びと

『姓氏録』と摂津国の諸氏族

為奈真人

椎田君と川原公

久々智氏・佐々貴山氏・山直

神人

若湯坐連

伊蘇志と滋野宿禰

渡来系の諸氏族

楊津造

広田連

大和朝廷の支配

氏姓制度

猪名部

贄土師部

第四章 律令支配のなかで

第一節 律令制下の村

地方支配のしくみ

律令制支配の成立

地方行政制度の成立と摂津職

国郡里制の変遷と摂津国諸郡

諸郷の現地比定

土地に刻まれた記録

重層した刻印

条里制のしくみ

土地区画

地番づけ

西摂の条里

阡陌開発

条里復元法

武庫郡条里の復元

川辺郡条里の復元

村の生活

農民の負担

摂津国正税帳の検討

農民の階層

農事暦と作物

耕地の種類と状態

摂津国の班田事情

手工業生産物と貢進物

万葉集に詠まれた宝塚地方

社と寺

神社の成立と国家の統制

摂津国の式内社

西摂地方の仏教文化

観音霊場中山寺

清澄寺と清荒神

牧と道

『時範記』の記事

令制の牧の制度と摂津国の諸牧

律令制の駅制

古代の道

いくつかの枝道

有馬温泉への行幸路

第二節 律令支配の移りゆき

摂津職から摂津国へ

摂津職から摂津国へ

国府の変遷

位田と職田

摂津国における令制の官田

国司被任命者の性格

大土地私有のひろがり

律令制下の土地制度

土地私有の活発化

班田制の変化

勅旨田と親王賜田

公営田と元慶官田

山林原野の私有化

農村の変ぼう

一〇世紀初頭の農村

田堵の出現

抵抗する田堵

志多羅神の訪れ

志多羅神と田堵

第五章 荘園のひろまり

第一節 荘園と武士団の発展

多田満仲の土着

多田院の創建

多田盆地の開発

満仲の開発と鉱山との関係

満仲と武士団

検非違使の入れぬ世界

荘園の展開

頼光は典型的受領

荘園発達のすじみち

荘園制の完成

多田荘と多田源氏

市内の荘園

荘園の生活

一一・一二世紀の農業

名主の成長

名主・百姓の階層構成

年貢と公事

寄人の荘園

松尾社領山本荘の成立

荘園経済のしくみ

第二節 古代末期の動乱

平氏政権と摂津源氏

院政と平氏の台頭

保元の乱と摂津源氏

平氏打倒の動きと摂津源氏

摂津地方の源平争乱

源平合戦の本質

三草勢ぞろい

三草山から一の谷へ

動乱の終わり

「ブロックダイアグラム図法による宝塚市域の景観」の説明

あとがき

〔執筆担当〕

〔奥付〕

〔デジタル版公開に伴う正誤表〕