近隣都市をみますに、芦屋・西宮・尼崎・伊丹と各市ですぐれた市史が出版され、川西市では本市より半年早く着手されていると聞いています。
宝塚市教育委員会においても、早くから修史事業の下準備をしてまいりましたが、機が熟せず実現に至りませんでした。ところが、近く市制二十周年を迎えようとするにあたり、昭和四十六年、市の記念事業の一つとして宝塚市史を発刊する企画がなされました。そして市長を編集委員長として庁内に市史編集委員会が設けられ、市教育委員会がその業務を担当することになりました。翌四十七年、市史編集室を新設し、年次計画のもとに市史編さん事業を進めてまいりました。
宝塚市はその名のとおり、埋蔵文化財の宝庫といえます。全国に紹介されています雲雀丘の万籟山古墳や、安倉高塚古墳、それに最近では西谷で発見された壺入古銭など、多くのすばらしい文化財をもっています。教育委員会では有形・無形の文化遺産を、市民のみなさんの「財」として保護につとめ、報告書や文化財図録を発行し、文化行政を積極的に進めてまいりました。
しかし、急速に発展してきました宝塚市は、近代化の波によって古いものがしだいに消えさり、新しいものへと変革しています。いかに時代の流れとは言うものの、滅びていくものに愛惜の情を禁じ得ません。今も、祖先の人びとが使い残した物や文書などが焼かれたり、くず物として売られあるいは捨てられています。また、永遠のねむりの墓所まで開発の名のもとにブルドーザーで押しつぶされています。この宝塚市史は、このような破壊、消滅の歯止めとなって、郷土発展のための建設に一つの指向をしめすものとして、広く市民の皆様に読んでいただきたいと願っています。
幸い、著名な先生方を専門委員に迎え執筆をお願いできましたことは望外のよろこびでございます。執筆者各位には限られた日限と費用のなかでの調査・研究、それに執筆にあたって、表現はやさしく内容は高くと、無理な注文にもかかわらず市民の市史としてのご配慮を賜わりましたこと、またその間、ご多忙をかえりみず毎月定例の専門委員会において終始ご熱意あふれるご審議にあずかりましたこと、ここに改めて厚くお礼を申し述べますと共に、万事事務局の不行届の点深くおわびいたします。
おわりに、資料のご提供その他ご協力いただきました各位や、関係各方面の方がたのご厚意に厚く謝意を表するしだいです。
昭和五十年一月三十一日
宝塚市教育長 谷添利一