銅器と集落の特徴

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弥生時代の遺物でとくに注意をひくのは青銅製品、とりわけ銅鐸(どうたく)をはじめとした一連の祭祀用具である。最初は大陸から運ばれたであろうが、やがて国内でもつくれるようになる。どのようにして祭りにつかわれていたのかはわからないが、それよりも重要なことは、人びとがすでに冶金(やきん)技術を身につけ、祭祀(さいし)用具にせよ、武器にせよ、自分たちの手でつくれる自信をえたことで、このことがその後の歴史の発展のうえに大きな影響を与えてくる。とくに銅だけでなく、すでに鉄をも使用しはじめていた点は注意すべきことであろう。
 この時代、もう一つ特異な点は、前期に平地にくだった集落が、中期から後期にかけて急に高地にも営まれることである。稲作はできず、交易にも不向きな高所の立地を、何故にとらなければならなかったのか。この理由として、気候の温暖化にともなって生じたいちじるしい海水面の上昇(陸地の後退)や、しだいに激化してきた集団同士の抗争の結果と考えることもできる。「その国、もと亦(また)男子を以て王となす。住(とど)まること七、八十年。倭国乱れ、相攻伐すること歴年」としるした例の『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』の記事も、あるいはそれを裏づけしているのかもしれない。一方このころになると生活用具がいちじるしく変化をしてくる。長い期間つづいた石器はしだいに姿を消し、かわって鉄器がさかんに使われてくる。銅鐸(どうたく)はその使用意義が失われ、ムラの社会では祭政の分離がはじまり、司祭よりも首長のもとに権力が集中し、大小くにづくりの基盤ができあがる。