国づくりの有様を物語ってくれるのが説話や伝承である。文字のない時代、人びとは耳と口とでその歴史を語りつづけてきたのである。宝塚から西宮・尼崎に広がる西摂地方にも、こうしたいくつかの説話が残っている。市史のなかでは『摂津国風土記』逸文や『住吉大社神代記』の記事が引用されて、この地方の人びとの当時の生活内容を明らかにしてくれる。また記・紀の記事によって、すでに大和朝廷による支配がこの地方に及び、古い形式の首長である村主(すぐり)・県主(あがたぬし)・国造(くにのみやつこ)などの制度が、しだいに統一政権の「国家」のなかに同化してゆく過程を知ることができる。西摂地方にも大小の氏族が活躍していたが、なかでも国造の凡河内(おおしこうち)氏の存在は注意を引く。がんらい古い人名が、地名を冠する例から考えると、彼は河内地方の出身ということになる。それとも古くは西摂地方までも河内とよんでいたものか。ただしかし、弥生時代からすでに西摂地方と河内の間に交流のあったことは遺物が物語っている。