宝塚は武庫川と切りはなしては考えられない。はるか丹波の篠山盆地の南部に発して、三田盆地の東縁をゆるやかに流れていたかと思うと、ふたたび北摂山地のなかを深い峡谷をつくって南流してきた武庫川が、突如として広びろとした平地に流れこんだあたりに、宝塚市が建設されてきた(図1)。
昭和四十七年(一九七二)十月二十四日、アメリカの打ちあげた人工衛星アーツ一号が、地表九〇〇キロメートルの高度から送ってきた赤外線でみた近畿地方の映像は、われわれの郷土のこのような自然の位置づけを生なましく浮びあがらせてくれた(写真2)。この写真のなかには、宝塚市民にもなじみの深い昆陽池をはじめ、伊丹台地の池が鮮明にみられることから、その精度のよさがわかるであろう。
写真2 人工衛星アーツ1号の映像にあらわれた宝塚市域(赤外線写真),下は説明図