このような自然のたたずまいのなかで、現在の宝塚市域は、どのような範囲を占めているのであろうか。宝塚市は昭和二十九年(一九五四)、川辺郡宝塚町と武庫郡良元(りょうげん)村との合併によって誕生し、さらに翌三十年に長尾村、西谷村を合併して、南北に細ながい市域を占めるようになった。したがって市域の約八〇%は北摂山地のなかにあることになるが、これをさらに、武田尾―切畑―猪名川町猪淵を結ぶ線によって、北側の西谷地域と、南側の長尾山地域とに分けることができる。
西谷地域は、北端の香合新田(こうばこしんでん)の裏山(五二八メートル)と、南の古宝山(ふるほうざん)(四五九・四メートル)のほかは、高さ三五〇メートル前後の似かよった山のつづく地域で、これらの山あいの広い谷間に、香合新田・上佐曽利(かみさそり)・下佐曽利(しもさそり)・長谷(ながたに)・大原野(おおはらの)・波豆(はづ)・境野(さかいの)・玉瀬(たまぜ)・切畑(きりはた)などの村むらが点在している。
長尾山地には、大峰山(五五二・四メートル)をはじめ、検見山(四七五メートル)・中山(四七八メートル)など四〇〇メートルを越える山やまが多い。この部分では谷が深く、集落の発達がみられないが、南縁に沿って、安場(やすば)・川面(かわも)・米谷(まいたに)・中筋・中山寺・山本・平井の家並が早くから存在した。
この南斜面は武庫平野に臨む景勝の地であり、気候温暖で晴天が多く、空気も比較的乾燥するという気象条件にも恵まれ、植木の名産地として古くから知られてきた。この自然環境は人間の生活の場としても快適であったが、近年大規模な宅地造成が進められ、生瀬付近の巨大な砕石場ともども、緑の宝塚のイメージが失われつつある。
有馬―高槻構造線以南の市域もまた二つに分かれる。一つは武庫川の扇状地に立地する市街地域であり、宝塚市の中枢である。他は六甲山地の東端を占める岩倉山(四八八・九メートル)を中心とする花こう岩山地であるが、逆瀬川流域では丘陵地となり、宝塚ゴルフ場があり、また千種(ちくさ)町の台地は小林聖心女子学院を中心とする閑静な文教・住宅区域となっている。その台地東麓の平地には、北から伊孑志(いそし)・小林(おばやし)・蔵人(くろうど)・鹿塩(かしお)などの集落が、恵まれた自然環境のもとに古くから発達してきた。