燕山運動

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本州変動の結果、日本列島付近はアジア大陸東縁の陸地という地位を占めることとなり、ついで西南日本の太平洋側にあらたにできた四万十地向斜の後背地となっていった。ところが後期中生代になって、西南日本の陸域を中心に、かつてない大規模かつ激烈な火成活動に見舞われることとなった。
 それは日本列島だけではなく、アジア大陸東縁部における一大変動であった。ソ連領カムチャッカ半島基部から、シホテアリン(沿海州)に広がり、中国領では北の河北省から南の福建・広東省にまで延びていて、大陸縁辺部を弧状に、また雁行状(がんこうじょう)に彩っている(図5)。

図5 燕山変動の噴出岩類
(山田直利,1966)


 中国の燕山(河北省)の名をとって燕山運動とよばれるこの大規模な火成活動は、ジュラ紀後半の安山岩の火山活動ではじまり、白亜紀を中心とする大量の流紋岩類の噴出と、数回にわたる花こう岩類の貫入で特徴づけられている。
 さらにアジア以外のところに目をむけると、北米大陸の西岸には、アジアと同規模で広がる酸性岩類があり、ネバダ・サンタルチア変動とよばれており、または米西岸や、ニュージーランドでも同時代の変動が知られている。このように太平洋を囲んで、後期中生代に一連の変動帯があり、それぞれの地域の性格を反映した火成活動が起こっていることは興味深い。