西南日本の火成岩類

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日本列島では、この時期の火成活動は西南日本内帯でいちじるしい。しかしその内容が複雑で分布が広く、調査が困難であったため、古くから石英粗面岩あるいは石英斑岩(せきえいはんがん)というような漠然(ばくぜん)とした名でよばれ一括されており、日本列島の地史を編むうえで、一大盲点となっていた。
 しかし、一九五〇年代後半から、ようやく各地の酸性岩類の研究が個別に積みあげられ、昭和三十八年(一九六三)から「西南日本内帯の後期中生代火成活動」の総合研究が実施され、その知識が飛躍的に増加したが、なお問題も少なくないのが現状である。
 さてこのような花こう岩と流紋岩の活動によって、古生層はおおわれ、また分断されることになった。琵琶湖のある近江盆地の部分に花こう岩が貫入してきて、領家帯の北側の古生層は美濃山地をつくる美濃帯と、丹波山地をつくる丹波帯とに分割された。
 そしてまた丹波帯と領家帯との境界付近にも花こう岩の小岩体が入ってきた。六甲山地はこのような部分にあたる。宝塚市域はこのような新旧の基盤岩体をまたいでいるところに特色がある。