花こう岩類

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西南日本内帯は、日本列島における花こう岩類の最も広く露出する地域であり、これを中央構造線に沿って分布する領家帯の花こう岩類と、瀬戸内海から中国地方脊梁(せきりょう)山地にかけて広がる中国バソリス(貫入岩の最も規模の大きなもの)の花こう岩類に大別することができる。
 領家帯の花こう岩類には、花こう閃緑岩・石英閃緑岩を主体とする、多種多様な花こう岩類があり、これらにともなう変成岩類との関係から、本州変動の一環である花こう岩マグマから分化固結したものと考えられてきた。昭和四十一年(一九六六)ころから、領家花こう岩類と流紋岩類との野外における貫入関係が明らかになり、その絶対年齢の測定がおこなわれ、流紋岩類以前の古期花こう岩類と、流紋岩類を貫く新期花こう岩類に区分されるようになった。
 領家帯の北側には、非変成古生層を貫いて、花こう岩ないしアダメロ岩を主体とする花こう岩類が広く分布している。流紋岩類など大量の酸性噴出岩類にともなう花こう岩類である。
 かつて中国バソリスとして一括されていたが、分布規模の大きな山陽側の広島花こう岩体と山陰側の鳥取花こう岩体が区分され、これら二大岩体にはさまる岩株状の小岩体が、中国地方脊梁から近畿地方に点在し、これを中央深成岩群とよぶようになった。
 中国地方の調査から、燕山変動の深成活動としては、まず小規模な岩株型の中央深成岩群の活動があり、ついで広範囲にわたるバソリス底盤型の花こう岩体の貫入があったとされている。
 宝塚市域に露出する花こう岩類は、北摂山地の流紋岩類を貫く石切山花こう閃緑岩の小岩体と、六甲山地に広く分布する六甲花こう岩の二系統がある。
 石切山花こう閃緑岩は、長尾山地域の東縁部の古生層と、有馬層群の境界付近で、両者を貫いて露出している。そして、満願寺北東の石切山(二八四メートル)や、その北の大平山(二五七メートル)の山体の一部を構成している。惣川(そうかわ)沿いの石切場の南端にも、小露頭があり、ここでは旧期流紋岩熔岩に熱変成を与えている。西谷地域では、玉瀬貯水池北東で、有馬層群を岩脈状に貫く石英閃緑岩があるが、これも石切山花こう閃緑岩と同類のものと考えられている。
 石切山花こう閃緑岩と名づけたように、この岩体は花こう閃緑岩質のところが主であるが、アダメロ岩や石英閃緑岩の部分もあり岩相変化が激しい岩体である。粒度も中粒(粒径一ミリメートル~三ミリメートル)から細粒(粒径一ミリメートル以下)まで変化する。石切山花こう閃緑岩と類似した岩石は、兵庫県中央部で、千種町・一宮町(以上宍粟郡)、大阪府豊能郡能勢町などに小岩体をなして点在し、その産出状況と岩質の類似性から、中央深成岩群のものと判断される。能勢岩体の試料でおこなわれた、ルビジウム―ストロンチウム法による年代測定結果では、八三〇〇万年~七九〇〇万年の値が出されている。

写真13 石切山花こう閃緑岩 顕微鏡写真