神戸層群

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六甲周辺の第一瀬戸内累層群は、最初六甲山地西縁部の神戸市須磨区白川地区で研究され、神戸層群の名がつけられた。その後、さらにこの地層が広く分布する三田盆地で、層序と構造の研究が進められ、泥岩・砂岩などの砕屑岩相の部分と、凝灰岩を多量に含む火砕岩層のくりかえしという堆積のサイクルがわかり、砕屑岩相と火砕岩層の一組を一累層とする三累層が区分されるようになった(図7)。

図7 神戸層群柱状図


 他の地域の第一瀬戸内累層群は、浅海域の地層で特徴づけられるのに対し、神戸層群地域では、南に分布する多井畑累層や、淡路島岩屋層には海棲貝(かいせいがい)化石や有孔虫化石を産出するが、これらに対比される三田盆地の有野累層は淡水成の地層であり、当時の三田盆地は南の内海に接する湖―古神戸湖―であったと考えられている。南の白川地域でも、多井畑累層につづく地層は淡水成に変わっており、この地域も海水域から急速に湖水化していったと思われる。神戸層群の凝灰岩層のなかには、植物化石が豊富に含まれていて、その種類も一三〇種を超え、白川植物化石群とよばれている。
 円形の三田盆地は、ほぼ古神戸湖の形と一致しているとみられるが、その水が細ながい水路を通って大阪盆地と通じていたことは、西宮市名塩の谷から、宝塚の長尾山地域を通り、千里丘陵付近まで点々と神戸層群が残存していることからわかる。
 宝塚市域の神戸層群は、生瀬北方の武庫川川床から、スポーツ日本ゴルフ場の尾根筋にかけて露出している、ここでは流紋岩類を不整合におおって、人頭大ないしこぶし大の亜角礫からなる礫岩層があり、上位にゆくにしたがって、小粒の円礫岩層となり、尾根筋近くでは連続性の悪い砂岩層がはさまるようになる。これと同様な地層は、武庫川を越えて名塩の谷、木の元~名塩間に分布しているが、ここでは礫岩層の上位に、有野累層と吉川(よかわ)累層を区分する鍵層である夫婦(みょうと)松凝灰岩が分布しているので、これから下位の礫岩層は、有野累層に入ることがわかる。
 北摂山地では、生瀬北方の神戸層群のほかに、清荒神(きよしこうじん)付近にも神戸層群が露出している。ここの神戸層群は花こう岩の巨礫を含む礫岩層で、生瀬北方のものと岩相が異なる。また武田尾北方の尾根筋にも、神戸層群の薄層が点在している。武田尾北方に分布する地層は砂岩・泥岩など細粒の砕屑岩であるが、その下位に、夫婦松凝灰岩がみつかっているので、吉川累層に相当する地層といえる。
 現在、北摂山地に残っている神戸層群は、前記のように分布も狭く、厚さも五〇メートル以下のものが散在するにすぎないし、六甲山地の宝塚市域では、完全にこの地層を欠いている。これに対して大阪平野の深層ボーリング OD―1号では、深度六八〇メートルまでつづく大阪平野の下に、また硬い砂岩・泥岩からなる神戸層群に類似する地層が二〇〇メートル以上もあることが確認されたこと、武庫平野東方の千里丘陵に神戸層群が露出していることなどから考えると、武庫平野の地下にも、神戸層群が伏在している可能性は大きい。

写真18 西宮市甲東園からみた東六甲の甲山