宝塚市域内では神戸層群も大阪層群も武庫平野の地下に潜んでいて、地表で最も目につくのは段丘である。
二つの山地と一つの平野にまたがる宝塚市域内には、複雑に段丘が分布し、それらの相互の関係を明らかにすることは容易ではないが、西宮市史・尼崎市史・伊丹市史・宝塚市史編集にともなう調査のなかでその実態が明らかにされてきた。
段丘は非常に多くの段に分かれるが、それらを大別してみると、近畿地方を通じてかなり普遍的に、高位段丘・中位段丘・低位段丘と三つのグループに分けることができる。この名称は、最初は段丘面の海抜高度を基準にして、高い段丘ほど古いという考え方から出発しているが、その後段丘面の変動が明らかになるにつれて、高度からみると、明らかに高位段丘の連続とみられるものが、中位段丘面より低いところまで下りてくる場合もある。
武庫平野のなかに広大な台地をつくり、伊丹市の主要部を占める伊丹段丘は低位段丘の模式的なものである。それを細分すると、上加茂面・安倉面・中野面・山本面に分かれ、それらのなかには旧水路を追跡することができる。宝塚市域内には安倉面と中野面とが発達する。
伊丹段丘面をつくるのは、こぶし大の礫よりなるいちじるしい礫層で、礫の種類からみても、古生層礫の多い猪名川の扇状地礫層と、流紋岩や花こう岩礫の多い武庫川の扇状地礫層とが複合したものであることがわかる。
この伊丹礫層の下には伊丹粘土層が付随しその北方への延長は、川西市上久代付近で尖滅(せんめつ)するが、大阪湾方向へ厚くなり、尼崎市地下では二〇メートルに達し、さらに海底下に広がっている。宝塚・西宮方向にも薄くなって尖滅する。そしてこの粘土層に含まれていた貝殻化石および木片による放射性炭素年代は約三万年の値をしめしている。