さて、時代をさかのぼって中位段丘についてみよう。中位段丘は、主として六甲山地の東・南縁に発達するが、西宮市上ケ原の面が、その模式的なものである。それは、旧仁川が武庫平野部に開口するあたりに形成した旧扇状地の形態をとっている。宝塚市域では、逆瀬川の旧扇状地とみられる標高六〇メートル~七〇メートルに達する千種の面が顕著で、これを千種面とよぶ(写真21)。川面面は武庫川本流の旧扇状地とみられる。
小林聖心女子学院付近の崖(がけ)には千種段丘の断面が露出している。その特徴は、厚さが三〇メートルに達して、段丘堆積物としては異常に厚いことである。さらに千種面をつくる花こう岩の亜円礫よりなる数メートルの礫層の下に、大きな木の根や幹をおびただしく含む植物遺体層を数枚はさむ砂礫層と粘土層がつづき、最下部に、再び三メートルに達する花こう岩の円礫層が広く分布している。このような状態は段丘堆積物としては異例で、つぎの高位段丘とともに六甲山地の急上昇をしめすものとみられる(図12)。
さらに高位段丘は、思いがけない所に出現する。逆瀬川をさかのぼり、川筋を離れて南に坂道を登りつめるあたりの崖に、比較的細粒の砂礫層よりなる大阪層群のうえに、こぶし大の亜円礫の密集した数メートルの礫層がみえる。これが高位段丘礫層で、五ケ山礫層とよばれている。その海抜高度は二五〇メートルにも及ぶ(写真20)。
この礫層を南に追うと、鷲林寺(じゅうりんじ)・柏堂(かやんどう)・苦楽園・六麓荘の平坦面をつくりながら、しだいに低くなり、芦屋市山手町では一〇〇メートルまで下がり、南西にいくほど低くなる。一方、北の太多田川流域では、海抜四五〇メートルに達する上ケ平の面をつくる。
このような中・高位段丘の特異性は、六甲の上昇運動と合わせて後で検討することになる。