縮みゆく近畿

70 ~ 70 / 532ページ
このような東西圧縮の状態が、第四紀とよばれるこの二〇〇万年ばかりの間つづいてきたとすると、この地域の自然の謎の多くが解けるのである。
 まずさきに述べた大地のうねりも、南北に軸があるから、東西の圧縮で説明できる。しかし、図14でもわかるように、丹波山地側と、瀬戸内側とでは、うねりの状態がちがっていて、その境界が有馬―高槻構造線とほぼ一致する。宝塚市域は、まさに、うねり構造と横ずれ断層系とが複合して、極めて複雑な構造となっているのである。
 北摂山地を特徴づけるものは横ずれ断層であって、この山地は丹波山地の一部を占めているといってさしつかえない。一方、武庫平野の地下には、数百メートルにわたって大阪層群に属する粘土や砂礫層があり、また一部神戸層群が伏在している可能性があるが、その下には六甲と同じ花こう岩質の岩盤があるはずである。その東側の千里丘陵は、ふたたび基盤岩が隆起してきて、被覆層の大阪層群をもちあげた部分であるといえる。すなわち、武庫平野部は六甲山地と千里丘陵という基盤の隆起部の間にはさまれた沈降部であったのである。