かくされた扇状地

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千種町の平坦面をつくる地層をみると、阪急電鉄小林駅付近から仁川団地にかけて大阪層群上に、こぶし大の比較的淘汰(とうた)のよい亜円礫層が二メートル以上の厚さをもってよく連続している。そしてそのうえに、流木を何層にもはさむ二〇メートルに達する砂礫層が重なっていて、最上部に亜角礫層があり、これが平坦面をつくる地層となっていることはすでに述べた。
 一つの段丘層のなかにこのように上・下二枚の礫層が含まれているのは普通ではない。その解釈として下位の礫層が、前述の逆瀬川の扇状地礫層と、武庫川本流の扇状地礫層との複合したものとみたいのである。岩倉山付近の礫層は高度四五〇メートルにも達するが、これは礫層形成後、芦屋断層に沿って岩倉山地塊が北山地塊よりも二〇〇メートル以上隆起した結果である。それだけ高度を下げて考えてみると、武庫平野部とまわりの北山や岩倉山地塊との比高差は二〇〇メートルに満たない程度で、樫ケ峰地塊がやや山らしい姿をしめしはじめていたとみられる。
 したがって当時の武庫川本流は、このような丘陵的な山中を流れ、芦屋断層の延長が武庫川を横断するあたり、すなわちハクサリと売布(めふ)神社を結ぶ線以南で、武庫平野部に開口し、扇状地を形成したとみられるのである。この高位面をつくった時の海が後退していくにつれて、この扇状地は、三角州となって武庫平野の沈降部のなかに前進していった。