断層は地殻の表層部に発生した割れめであり、宝塚は幾種類かの割れめの会合点に位置することが明らかになってきた。断層は破砕をともない、災害の原因になると同時に、温泉・鉱泉の湧出(ゆうしゅつ)とも密接な関係があって、その恩恵も大きいことはのちに詳述する。もう一つ断層は地震にも深い関係のあることが近畿北西部において急速に実証されはじめた。地震も地殻変動の直接的なあらわれであり、自然環境の一部をなすものであるから、等閑視するわけにはいかない。
昭和三十八年(一九六三)から、京都大学防災研究所・京都大学阿武山地震観測所によって、丹波・但馬地方に人体に感じない程度の微小地震(マグニチュード3以下)の観測網が設置されてから、この方面の研究は進展しはじめた。
それ以後昭和四十七年(一九七二)まで一〇年間の成果をまとめたのが図17である。これからわかることは、微小地震の起こり方にも規則性があって、丹波・但馬山地を走る横ずれ断層のあるものに沿って集中する傾向と、有馬―高槻構造線に沿う丹波の古生層岩体の縁辺部に発生している傾向がある。さらに興味のあることは、これらの地震の震源が一五キロメートル以内の地殻の浅い部分に密集していることと、地震を起こす原因が、やはり東西方向に地殻が圧縮されることによって起こる破壊にともなうものであることが明らかになってきたことである。
これらの事実は、丹波の古生層岩体の深さが約一五キロメートルに達し、それが東西に圧縮される時に破壊が起こり、そのために起こる波が地震波として伝わってくるのだと解することができる。地震も断層も同じ原因で起こっていることは、この地域が第四紀という長い期間を通じて、東西に圧縮されつづけてきたことを物語るものであろう。
丹波山地に微小地震の多いのに反して、瀬戸内の領家帯側にはほとんどないといういちじるしい対照がある。これはおそらく岩体の性質の相違にもとづくものとみられる。