宝塚から北の丹波地帯に広く分布する古生層は、古生代の後期である石炭・ペルム紀の時代の産物であって、本州地向斜とよばれる沈降部に堆積した地層である。この地向斜が、果して地球上で現在と同じ位置にあったという確証は何もない。なぜなら大陸が移動することはどうやら確実らしく、古生代のころの海陸の配置はまったく現在とはちがっていた可能性が大きいからである。
しかしとにかくその部分には数千メートルに達する地層が形成され、ついでそれらが変動を受けて褶曲し、断層で切られながら陸地と化し、さらにそれが長い浸食作用の結果平らになったことはまちがいない。
領家帯の花こう片麻岩の形成については、いろいろの説があって、まだ混とんとしているので、問題を今後に残しておこう。
中生代末の白亜紀のころ、東アジア一帯をおそった大規模な火成活動はこの地にも及んだ。花こう岩質のマグマは、地下で活動しては花こう岩をつくり、火山として地表にあふれ流紋岩やその凝灰岩をつくった。六甲の花こう岩や北摂山地の流紋岩類がこれにあたる。火山活動といっても、それは現在のように円錐型の火山で象徴されるような中心噴火ではなく、大地に裂けめができて、そこから熔岩があふれでるというような大規模なものであったと思われる。