気候の寒冷化した氷期には、植物は南方に安住の地をみいだし、気候の温暖化した間氷期にふたたび北上した。このような気候の大変化を証明する具体的な資料が、やはり三木によって西宮市神原の満池谷累層のなかから発見された。この植物遺体層は「ラリックス」層とよばれ、天然記念物となっているが、この名はグイマツやカラマツの属名からとられたものであり、その名のしめすように、千島や沿海州に自生するグイマツをはじめ、シラビソ・チョウセンマツ・イラモミ・シラカンバ・エゾイタヤ・ツルコケモモなどを含み、気温からいうと現在の青森あたりに相当する。
当時の六甲の姿を推定すると、まだ数百メートルの丘陵にすぎず、山岳高地の植物が流下して堆積したとは考えられない。やはり気候そのものが寒冷化したのであろう。
また小林聖心女子学院南方の崖の中位段丘層のなかにはさまれている植物遺体層のなかからも、サワラ・ヒノキ・ツガの類、コウヤマキ・コブシ・トウヒの類、アカマツ・ハンノキとともにツルコケモモの葉が出たが、これも寒冷気候をしめすものであろう。しかし海進・海退との関係は明らかでない。
逆に温暖気候をしめす遺体層も六甲南麓からみいだされている。それは西宮市上ケ原の広田小学校敷地造成の時に発見されたもので、「アデク層」とよばれている。アデク・コウチニッケイ・イヌノキ・ヤマモモ・ナギ・アラカシ・ツクバネガシ・ウバメガシなど暖帯広葉樹が多い。アデクは現在、九州南部から、琉球を経て、台湾・中国南部・インドシナ半島にかけて分布する亜熱帯の樹木である。
アデク層の層準には問題があるが、大阪層群の第八海成粘土層にあたるとの意見がある。これと同じ粘土層は、武庫平野の反対側にある千里丘陵の西北端、街兼(まちかね)山にも分布し、大阪大学構内の同層中からワニの化石が出たのは有名で、その骨格標本は大阪自然史博物館内に保存されている。このワニは現在東南アジアにすむトミストーマワニの系統に属し、マチカネワニと名づけられた。
段丘時代は象の化石からみるとナウマン象の時代になる。この間に植物はまったく現代型となり、それほど極端な植物の変化は認められないが、やや冷涼な気候をしめすものがある。伊丹粘土層からは、マツ・モミ・ツガ・コウヤマキ・スギ・ヒノキ・ハイネズ・ヤナギ・シイ・カシ・ナラ・ブナ・シデ・ケヤキ・ニレ・センダン・コナンキンハゼ・シキシマハマナツメ・サルスベリ・モチノキ・カラスザンショウ・スモモ・エゴノキ・シナノキなどが出た。このころは、山麓平地にはアラカシ・シラカシ・シイ・モミなどの常緑樹が繁茂し六甲山地にはミズナラ・ブナなどの落葉樹林がひろがっていたにちがいない。