氷河時代の最後のきびしい寒冷気候が二万年前ごろに数千年にわたってつづいた。伊丹海進のころのうっそうたる照葉樹林は、南に移動した。そして山地のミズナラなどの落葉広葉樹林は平地に下りはじめたが、あまりにも寒冷化が急であったため、その場所をトウヒやコメツガなど北方系の樹林が占領してしまったようである。
ウルム氷期の最盛期には海水面が一〇〇メートル以上も低下し、大阪湾は完全に干あがって大平野と化した。この時期が日本列島と大陸の結びついた最後の時期でもあり、大陸からナウマン象をはじめ多くの大型動物が渡来したが、これを最後として彼らは日本列島から絶滅していった。その原因ははっきりしないが、これら野生動物を追って新しい土地に移ってきた旧石器人が、その後島国になった日本列島に住みつくことになった。
きびしい氷期がすぎて、気候はふたたび温暖化にむかった。その後の経過は、陸上の資料からは求められない。すべて平野の地下に秘められている。そして既述のように港大橋の橋脚工事のさい、海底下三五メートルまで掘りさげる潜凾工事がおこなわれたが、そのとき、一万数千年前に堆積した地層までが直接観察され、放射性炭素による多数の年代測定がなされた。
地下二七メートルに潜む一万年前の地層はヤマトシジミやマシジミを含みまだ海水がじゅうぶん入りこんでおらず、そのなかの花粉化石にはモミ・トウヒ・マツ・ツガ・ヒノキ・スギ・コウヤマキ・サワグルミ・ヤナギ・ハンノキ・シラカンバ・シデ・ハシバミ・ブナ・ミズナラ・ニレ・カエデ・トネリコ・トチノキ・シナノキなどが検出された。とくにナラ属が四〇%も占め、当時の大阪湾のまわりには、ミズナラ・トチノキ・ブナの安定した温帯落葉樹林が繁茂していて、この状態は約七〇〇〇年前ごろまでつづいた。縄文人の食料であったドングリの木は、この森林の中心樹種であったのである。
約八〇〇〇年前から、大阪港付近に本格的に海水が入ってきた。そして急速に上昇をはじめ、五五〇〇年前ごろに現在よりも五メートルの高水位に達したことはすでに述べた。注目すべきことは、この気候の温暖化にともなう融氷の結果として起こった海水面上昇に、五〇〇~六〇〇年おくれながらも、極めて調和的に、ミズナラ・ブナの温帯落葉樹林が衰え、温暖気候に適したカシ・シイなどを優占種とする照葉樹林に移行していったことである。
この森林の構成は、カシ類が四〇%も占めるが、マキ・ヤマモモ・シイ・ムクノキ・エノキなどがマツ・モミ・ツガ・コウヤマキ・スギ・カヤ・オニグルミ・ノグルミ・ヤナギ・ハンノキ・シデ・ハシバミ・ケヤキ・シラキ・モチノキ・ミスギ・ミミズバイなどとともにあらわれる。