宝塚と地震

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地震と断層とが切りはなせないものであることは、最近の研究で明らかになってきた。地殻に力がかかってひずみ、耐えられなくなってできた割れめが断層であり、そのときに出る波が地震なのである。それでは大断層で刻まれた宝塚としてはこの問題をどう考えるべきであろうか。
 宝塚の地震の記録はほとんどない。しかし地震災害の記録は、人間生活に直接に被害を与えたものだけが記録されているので、都市づくりの新しい宝塚市としては、地震災害のなかった証拠とはならない。地学的な立場からは、有史以前にはたびたび大地震に見舞われたのではないかと考えられる現象が多い。
 現在の知識からみると、宝塚に関係の深い大地震の発生源は二つに分けられる。第一の系統は紀州沖一〇〇キロメートル付近を本州と平行に走る断層の活動によって起こるマグニチュード八以上の巨大地震で、昭和十九年(一九四三)の東南海地震、昭和二十一年(一九四六)の南海道地震などがそれにあたる。
 第二の系統は、直下型地震とよばれる型で、内陸部の断層運動にともなって起こるものである。昭和二年(一九二七)の北丹後地震・昭和十八年(一九四三)の鳥取地震・昭和二十三年(一九四八)の福井地震などがこれにあたる。この型は、マグニチュード七をやや超える程度のものである。
 宝塚に関係の深い二系統の大地震の震度を図27にしめしたが、震度というのはある地域の地震の揺れかたの尺度であり、マグニチュードの大きな地震では、震度域が広域にわたるが、震源からの距離が遠くなるに従ってだんだん震度は減少する。図にみられるように減少の模様は、震央を中心とする同心円にはならない。このことは場所によって、地震波を伝える大地の構成が異なるためである。
 宝塚付近の震度では、明治二十四年(一八九一)に岐阜県で起こった、マグニチュード八・四の濃尾大地震のさい震度Ⅴ(強震)を記録しているが、その他の最近の大地震では、震度Ⅳ(中震)程度であった。

図27 大地震の震度 Ⅰ:微震,Ⅱ:軽震,Ⅲ:弱震,Ⅳ:中震,Ⅴ:強震,Ⅵ:烈震 気象庁震度階による


 これまでの経験から、南海沖を震源地とする巨大地震では、宝塚付近は強烈に振動しても、家屋倒壊などの直接の被害を受ける公算は少ない。
 いっぽう、内陸部に発生する直下型地震では、鳥取・福井地震などの例のように震源地付近の都市は大被害を受けている。鳥取・福井の二地震のさい、宝塚地方は震度Ⅳであり、被害はなかったが、地震資料をさがしてみると、京都・生野・姫路などに、それぞれマグニチュード七を超す大地震が発生しており、この時の宝塚地方の震度はⅤ(強震)あるいはⅥ(烈震)に達したと推定される。今後、宝塚の直下や、至近の地域で大地震が発生しないという保証はなく、直下型地震に対する警戒をおこたることはできない。
 従来の地震記録では、南海沖の地震は一〇〇~一二〇年間隔で発生している。内陸部の大断層にそった大地震は、数百年ないし一〇〇〇年程度のひずみの蓄積期間が考えられるので、宝塚付近の大断層群が、有史以後活動していなくても、微小地震によってしめされているように、現在でもこの地域が東西方向に圧縮されている限り、活断層の性質をもつものとみなければならない。蓄積されたひずみが、なんらかの形で解消されないかぎり、断層の再活動―大地震の発生の可能性は大きい。
 地震時に最も直接的な被害を受ける断層線をまたいで、あるいは至近の位置に、重要なまたは危険性のある構築物をつくることはさけなければならない。

図28 宝塚地域段丘面分類図