昭和四十七年(一九七二)の夏、たまたま逆瀬川公民館をおとずれた若い研究者がいた。一階ロビーの展示ケースをなにげなくのぞきこんで、彼は息をのんだ。いくつかの石鏃(せきぞく)や石器の原材であるサヌカイト片がならべられているなかに、宝塚市内ではこれまでみつかっていなかった「土器のない時代」の石器があった。章頭の写真に掲げたこの石器は、数年前に一中学生が西宮市に近い丘陵の尾根でひろったということである。展示ケースの名ふだには、弥生時代の「石槍(せきそう)」としるされていた。実は、それはもっと古い「土器のない時代」の石器で、有舌尖頭器(ゆうぜつせんとうき)とよばれているものであった。