岩宿遺跡の発掘調査によって、日本にも縄文時代のまえに、土器がなく石器だけを使っていた時代のあることが証明された。考古学の時代区分ではこの時代を先土器時代あるいは無土器時代とよんで、ほぼ旧石器時代に相当すると考えている。石器の発見された洪積層の形成された時代、すなわち洪積世は、氷河時代ともよばれ、数回にわたるきわめて寒冷な気候の氷河期と、その間の温暖な気候の間氷期がくりかえされた時代である。この環境変化がいちじるしい洪積世に出現した人類は、猿人→原人→旧人→新人という変遷をたどり、今日にいたっている。日本の化石人類のうち、明石市大久保の西八木で発見された腰骨が原人のなかまだとすれば、日本列島にも四〇~五〇万年前には人類が住んでいたことになる。しかし出土層位や共伴する動物化石を調査する機会も失われ、原資料そのものもまた焼失したため、それがどの段階に属するのか、今はまったくわからない。その後発見された静岡県三ケ日(みっかび)・浜北、愛知県牛川の化石人骨は、いずれも新人に属し、断片的にではあるが、これらの人骨によっても洪積世の日本列島に人類の活動していたことがわかる。
このような化石人骨と各地で発見される石器との間にはどのようなつながりがあるのだろうか。現在までのところ化石人骨は石灰岩地帯の岩の裂けめに流されて堆積した状態で発見され、生活の場と思われるところでみつからないため、化石人骨と石器とのつながりはまったくみあたらない。いずれ日本でも石灰岩地帯の洞穴や岩蔭の遺跡で、化石人類が使用した石器とともに発見される日がくるであろう。