宝塚市内で土器の出現にかかわりをもつ石器がみつかり、この地域も意外に古い歴史をもっていることがわかった。
土器は粘土を焼きあげることによって形づくられる素焼きの容器である。粘土を焼くということは、人間がはじめて化学変化を体得した現象で、まさに画期的なできごとであった。食糧を貯え、煮沸し、また運搬も可能になるなど、さまざまに用途が開けて、土器は人びとの生活を豊かにした。
日本に土器があらわれてから約七〇〇〇~八〇〇〇年の間を縄文時代とよんでいる。土器の表面に縄目の文様をつけた土器、いわゆる縄文土器がつくられたところから名づけられた。縄文時代は土器の研究によって、早期・前期・中期・後期・晩期の五つに大別される。また最古の段階に旧石器時代とのつながりをしめす一時期を設けて、草創期(そうそうき)とよぶ場合もある。
縄文土器は、全面に縄目の文様をつけたみごとなものを、書物の図版などでみるためにすべての土器に縄目文様がつけられていると思われがちであるが、近畿地方では、縄目文様でかざられた土器は意外に少ない。前期のなかごろから後期なかごろまでの時期には、土器をかざる縄目文がみられるが、他の時期には、押捺(おうなつ)・貝殻条痕(かいがらじょうこん)・半截竹管(はんせつちくかん)・沈線とよばれる別の手法が用いられている。