弥生時代

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はげしい宅地造成で、急速に都市化が進む宝塚市でも、年ごとに、秋になれば黄金色(こがねいろ)の稲穂が風に波うつ風景を、南部の平地や北部山地の谷間にみることができる。今も日本人の食糧の中心になっている「米」が、いつごろからどのようにしてつくりはじめられ、それによって社会はどのように変化していったのか。古いその時代にこの地域はどんな役割を果していったのか。
 水田耕作による「米づくり」が、明らかにおこなわれはじめるのは、日本では、縄文時代につぐ弥生時代であった。弥生時代は、紀元前二〇〇~三〇〇年ごろにはじまり、約五〇〇年間つづく。米づくりの開始や金属器の使用、大陸系の石器や紡織技術を受けいれるなど、中国大陸や朝鮮半島から強い影響を受けていた。そのはじめ、まだ人びとに階級のなかった時代からやがて階級と権力者を生み、国家的な統一への準備をした、といえる時代であった。出土遺物の研究によって、弥生時代を前期・中期・後期に大別し、さらに第一様式~第五様式の五段階に分ける。
 数千年にわたって狩猟・採集にあけくれた縄文時代は、地理的・気候的な自然の条件に左右される、きわめて不安定な時代であった。もちろん、弥生時代に入ってからも自然の影響を強く受けて、集落地を移動することもあった。しかし、やがて金属器の導入や、技術の革新によってそれにうちかち、大規模な平野の開拓を進めて定着していったのであった。