弥生前期の遺跡

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最初に、水田のつくられた弥生時代の様子はどのようなものであったろうか。まず地形図に、今まで明らかにされている前期の遺跡をしるしてみよう。宝塚市の南部を含めた兵庫県東南部および大阪府の豊中・池田の平野部は、六甲山地・北摂山地・千里丘陵によって、西・北・東を限られ、南に大阪湾を抱いている。さらにこの平野部には、猪名川と武庫川が東西にあって、地形的に一つのまとまりをもっている。そこでこの地域を西摂平野とよび、これに六甲山の南斜面の地域も含めて考えていきたい(図38)。

図38 弥生前期の遺跡


 さて、弥生前期の遺跡は、南部の尼崎市に上ノ島(かみのしま)・庄下川(しょうげがわ)川床・藻川川床・田能(たの)・猪名川川床、伊丹市には、今では空港となってしまった大阪空港B遺跡、東の豊中市には勝部(かつべ)・上津島(こうづしま)などの遺跡がある。遺跡の多くがとくに現在の庄下川と猪名川の流域に集まっていることに気がつく。これらの遺跡はいずれも標高五~一〇メートルの低くたいらな土地にあり、付近には川が流れ、水利にめぐまれたところである。ところが、伊丹段丘や千里丘陵上には、前期遺跡が認められない。弥生前期の集落が、こんな低地にあるということには、なにか特別な理由があったのであろうか。