古墳を外形で分類すると、前方後円墳・前方後方墳・円墳・方墳、また前方後円墳の一変形もしくは前方後円墳と円墳の中間型式ともいうべき帆立貝式(ほたてがいしき)古墳、さらには双方中円墳といったものまである。これらのなかで、日本にだけある独特の外形をした前方後円墳については、その外形の変遷を、つぎの三段階に分けている。
(1) 高い後円部に対して、それより低いところに、頂部が長方形をした細ながい前方部をつける。
(2) 前方部が幅・高さとも後円部の径・高さに匹敵するほどに発達し、墳丘の周囲に濠(ほり)をめぐらすものもある。
(3) 前方部が幅・高さにおいて後円部をしのぐ。
これをまとめると後円部に対し低く細ながかった前方部が、時期がくだるにともない幅・高さともに後円部より大きくなっていったといえる。(1)から(2)への変化は、山丘などの傾斜地から平坦地へという古墳の立地の変化にもとづくものであり、(2)から(3)への変化は、横穴式石室を採用したため、後円部が縮少されたことにもとづくと考えられている。
この前方後円墳の外形の変遷はあくまで天皇陵を基準にしたものであり、全国的に軌を一にして変化していったというわけではない。しかしこの考えかたをいちおうめやすにして、(1)・(2)・(3)の段階を、それぞれ古墳時代の前期・中期・後期とし、前期は四世紀、中期は五世紀・後期は六世紀に中心をおくとされている。なおこの時期区分については、古墳時代を前期と後期に大きく分け、それぞれをさらに四小期と三小期に細分する考えもあって、まだ学説の一致をみていない。