もう一つの赤烏年号銘鏡

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赤烏の年号を銘文にもつ鏡はもう一つ山梨県西八代郡三珠町鳥居原の狐塚古墳から出土している。狐塚古墳は、鳥居原古墳群の第二号墳で、竪穴式石室を主体とする円墳である。早く明治二十七年(一八九四)に、鏡と刀剣類が発見され、同郡市川大門町の浅間神社に保存されている。

写真62 狐塚古墳の赤烏元年神獣鏡(左)と内行花文鏡(右)
(山梨県市川大門町教育委員会提供)


 鏡は径一二・五五センチメートル、平縁式の四神四獣の形式で、神獣の配置のしかた、獣のむきなどは、安倉高塚古墳出土の鏡と同じである。半円と方格は、それぞれ八個ずつあり、方格には一字ずつの銘がある。判読に苦しむが、
 「□□大天王□□月」となる。鏡縁をめぐる右まわりの銘文は、判読できない部分を他の用例から推定して、つぎのとおり読まれている。
  赤烏元年五月二十五日丙午。造作明竟。百〓精銅。服者君侯。〓子孫。寿萬年。
 このほかに〓製の内行花文鏡(径一〇・二センチメートル)も発見されている。
 これら二古墳の紀年銘鏡の径は、安倉高塚古墳の鏡が当時の七寸五分、狐塚古墳の鏡が五寸五分にあたるという。また呉の紀年銘鏡では、径一二センチメートル前後のものがもっとも一般的で、現在のところ、安倉高塚古墳の鏡は、知られている限りでは最大の径である。