副葬品にみる変化

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弥生時代から古墳時代前期にかけて、勾玉は硬玉(こうぎょく)製で、紐孔は両側から孔をあけていく方法であった。しかしこの時期になると勾玉には硬玉以外に、碧玉・瑪瑙(めのう)・琥珀(こはく)などが使われはじめ、紐孔も片側から孔をあける例が多くなる。
 前期に、勾玉には硬玉、管玉には碧玉を使うという意識が人びとにあったとすれば、この勾玉の材質の多様化は、硬玉類が不足してきたという理由だけではなく、人びとの意識の変化もしめしているのではなかろうか。ある意味では、のちに述べるような軍事力を背景とする支配者の出現とのかかわりがあるのかもしれない。
 この時期には、副葬品にも石製模造品・帯金具(おびかなぐ)・馬具などが新しくあらわれてくる。石製模造品とは、鉄製の刀子(とうす)・斧・鎌などを模して滑石でつくったもので、葬送儀礼に使われたと考えられる。