中期以降の金銅製品には、馬具のほか、帯金具・冠・刀装具などがあり、甲冑(かっちゅう)にもその一部に金銅を使ったものがある。なかでも帯金具や金銅装の眉庇付冑は(まびさしつきかぶと)、五世紀に特徴的なものといえるであろう。これは五世紀中葉に出現し、中期を通じて用いられている。冑にはもう一つ衝角付冑(しょうかくつきかぶと)があるが、それに比べて眉庇付冑はかなり装飾的なものである。
この種の冑の出現と同じころ、甲冑にも変化が起こる。鉄板を革紐で綴じあわせてつくっていた甲冑を、鋲留(びょうどめ)でつくるようになり、防御具としての堅牢性が強化される。また新しく、防御面でもすぐれた小札(こざね)を綴じあわせてつくった挂甲も用いられるようになる。このような甲冑の変化に対応するかのように、攻撃用の武器である鉄鏃にも変化がみられる。従来の逆刺をもつ扁平な鉄鏃にかわって、貫通力の強い長頸鏃(ちょうけいぞく)とよばれる鉄鏃があらわれる。武器がこのように変化するのは、土器に新しく須恵器(すえき)が出現することとも関連して、技術者が渡来したのではないかと考える。
中期古墳にはうえにあげたような鉄製武器が大量に副葬されている例が多い。奈良市法華寺町のウワナベ古墳陪冢の大和第六号墳からは、鉄〓(てってい)とよばれる鉄製品の素材が多量に出土しているが、鉄〓を出土する古墳は畿内に多いので、大和政権が鉄素材を専有していたのではないかとの説もある。そうとすれば、古墳時代の主要な武具であり、かつ大型鉄製品である甲冑もまた大和政権から配布されたのではないかとも考えられよう。