『宋書倭国伝(そうしょわこくでん)』は「昔より祖禰躬(そでいみずか)ら甲冑を〓(つらぬ)き、山川を跋渉(ばっしょう)し、寧慮(ねいしょ)に遑(いとま)あらず。東は毛人を征すること五十六国、西は衆夷を服すること六十六国、渡りて海北を平ぐること九十五国、……」にはじまる倭王武(雄略天皇)の上表文をしるしている。甲冑をはじめとする大量の武器、あるいは金銅製の帯金具などを出土する古墳の被葬者には、それらの甲冑を身につけ、武器を手にし、自ら戦いの先頭にたって進んでいった武人のさっそうとした姿を想像することができよう。しかしやがて眉庇付冑がみられなくなり、これにかわるように、冠や垂飾付耳飾(すいしょくつきみみかざり)などが出現してくる後期への移行にともなって、この武人的性格も薄らいでいく。