宝塚市内の中期古墳

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同じころ西摂平野の北部では、長尾山系に、宝塚市内で知られる唯一の中期古墳ともいえる長尾山古墳(宝塚市切畑字長尾山)がつくられたと考えられる。これは南東に延びる尾根の先端に位置しており、従来は前方後円墳とされてきた。

写真74 東からみた長尾山古墳


 昭和四十四年(一九六九)十二月から翌年一月にかけて夙川学院短期大学がおこなった墳形測量調査の結果によれば、東面する前方後方墳と考えられる。全長三六メートル、後方部の一辺の長さ二五メートル、高さ四メートル、前方部の高さ一・五メートルを測り、墳丘には、埴輪と葺石の存在が確認されている。後方部の中央には、南北方向に長さ四・五メートル、幅一メートルほどの範囲で黄白色粘土が露出しており、粘土槨の存在が予想される。
 発掘調査がおこなわれていないため、副葬品についてはまったく不明であるが、墳丘のすそで採取された埴輪片からは、中期でも比較的古い時期の古墳ではないかと判断される。したがって西摂平野の五世紀前半までの古墳として確実なところでは、水堂古墳と長尾山古墳しか知られていない。