西摂で最大の横穴式石室

265 ~ 267 / 532ページ
勝福寺古墳につづく時期の古墳はまだよくわからない。
 西摂北部で最大の横穴式石室古墳といえば、いうまでもなく、池田市の鉢塚(はちづか)古墳をさす。いまは信仰の対象として、神社の本殿の奥に、径二五メートル、高さ五・五メートルの円丘がある。社殿の脇に設けられた通路から石室の中にはいってみると、正面には鎌倉時代の十三重石塔や板碑、石仏などがまつられている。花こう岩の巨石を組み合わせてつくられた石室は、両袖式で南に開口している。全長は一三・九メートルで、羨道の長さ七・五メートル、幅一・八メートル、高さ二・四メートルで、巨石の平らな面を壁としてつくられている。とくに玄室は、長さ六・四メートル、幅三・五メートル、高さ四・九メートルという驚くべき大きさで、天井をふりあおげば、しばし茫然(ぼうぜん)となる。天井石は玄室に四枚、羨道に二枚の巨石を架(か)けている。側壁は上にいくに従い、大きく持ち送り、玄室の天井では幅一・五メートルにまでせばめられている。中におさめられていたらしい石棺の破片も少し残っているが、元の形はわからない。墳丘の形状といい、石室の構造・規模といい、全国的にも屈指の横穴式石室といえよう。

図66 鉢塚古墳の石室『日本古文化研究所報告』1より


 この地は、猪名川左岸にあって、律令制下の摂津国豊島郡秦上・秦下両郷にあたり、いま池田市の中心部になる。この巨石古墳は、この地に住み、猪名川流域、とくに左岸を支配下におさめた首長の墳墓にふさわしい。秦(はた)氏の本貫地にあたることも留意してよかろう。
 その築造時期については、早く開口し、副葬品も知られていないけれども、石室の形状からみて群集墳の出現に先立つ六世紀前半といえないだろうか。池田市内には、二子塚古墳をはじめ、特徴ある横穴式石室古墳もみられる。それらとのつながりについては、今後に問題を残している。