猪名川右岸にもどって、長尾山麓を西へたどっていくと、斜面の各所に点々と横穴式石室がみられる。その中で、とくに大きな石室をもとめると、昭和四十五年、宅地化のために消失した雲雀山東C1号墳があげられる。その消滅直前には、羨道の入口付近は埋まっており、一部こわされていた天井付近から石室内にはいれた。両袖式の石室は南に入口をむけ、玄室は長さ五・三メートル、幅二・二メートル、高さ二・九メートル以上で、羨道は前方がかなり埋まっていたが、長さ一・三メートル以上、幅一・八メートル、高さ一・五メートル以上で、石材はあまりそろっていないが、墳丘はひときわめだつ円墳であった。
その形や立地からいって、西隣にあり、あるいはこのC1号墳についでつくられたかと思われるC2号墳とともに、六世紀なかばの群集墳のつくられはじめたころの首長の墓であろう。