仁川旭ガ丘の古墳群

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昭和四十七年、関西学院大学考古学研究会によって、仁川旭ガ丘古墳群三基の調査が行なわれた。発掘された2号墳は、南に開口する片袖式石室で玄室の奥はすでにこわされていたが、石室の全長七・一メートルで、玄室の長さ三・九メートル、幅一・七メートル、羨道の長さ三・二メートル、幅一・四五メートルを測る。少なくとも二回の埋葬が行なわれ、追葬の際に床に割石を敷きつめたと考えられている。遺物は須恵器十一点と金環一点のほか、土師器片、瓦器片、それに鉄釘がみられる。

図70 旭ガ丘2号墳の石室
『仁川旭ケ丘古墳群調査報告』より


 あわせて実測の試みられた1号墳は、やはり片袖式石室らしく、東に開口する。大きさは玄室の長さ四・五ノートル、幅二・一メートル、高さ二・一メートルで、羨道の長さ四・五メートル、幅一・五メートル、高さ二・〇メートル(推定)である。旭ガ丘古墳群の中では、尾根の上の最良の位置を占め、最大規模の古墳である。
 丘陵上の位置や古墳の規模から、1号墳・3号墳・2号墳の順で築造され、その築造時期は六世紀後半から七世紀のはじめごろまでと推定されている。