これまでにみてきたⅠ類の横穴式石室古墳は全国各地にみられるものと規模・内容ともに本質的な差異はない、ところが、長尾山の群集墳の中で、およそ二六〇基のうち約一四〇基がⅡ類とよぶきわめて小型の石室を有する古墳である。とくに、雲雀山古墳群の上半分にあたる東A・B群や西A群、あるいは、平井古墳群の大半がこれにあたり、山本古墳群もそれに準ずる。
このような「広い墓室をもたぬ古墳」は、その大半が、横穴式石室古墳が盛んにつくられた時期よりは、むしろおくれて、終末期としばしばいわれる七世紀前半以降に築造される。他の地方でも、「横穴式石室の態をもちながらも、その機能はとうてい果せそうもない」というような指摘があり、横穴式石室の退化したものとみることができよう。しかし、このような形の古墳について、一貫した考察を加えている研究は、いままで現われていない。