つぎに、同じ皇別氏族でありながら、特殊な性格をもっていたと思われる久々智氏について述べてみよう。
『姓氏録』によると、この氏族は阿倍朝臣と祖先が同じで、大彦命の後であるという。しかし、この氏族は歴史上にもみえず、どういった性質を持つ氏族かはっきりしない。ただ『古事記』の神がみの誕生をしるしたところをみると、「木神、名は久久能智神を生む」とみえ、『日本書紀』には「木の祖、句句迺馳(くくのち)を生む」とあって、木神、木霊にあたる神の名がこの氏族と同じであることがわかる。とすれば、この氏族は久久能智神を祭り、木材の伐採や管理に関係していた氏族ではなかっただろうか。
猪名川や武庫川の上流は古くから木材の伐採・利用の点で大和朝廷にとって重要な地域となっていた。このことを考えるとき、この氏族の性格の推測はかなり妥当性をもつのではなかろうか。『摂津国風土記』逸文として残っているなかに、有馬郡の久牟知(くむち)山に関する逸話があるが、これもすでに述べたように、功地山をなまって久牟知山といったというのはこじつけに近く、「クムチ」は木霊をいい、そこから名づけられたものであり、むしろ「ククノチ」がなまって「クムチ」となったと考えられている。そして、現在の西宮市山口町下山口の有馬川に沿う地にある式内社の公智神社はこの伝承と関係のある神社で、その祭神も木神である久久能智神だといわれている。
こうした点で、久々智氏はこの地方に居住し、木材の管理・貢進に関係していた氏族であると考えられる。また、現在の尼崎市、福知山線の塚口駅の東南に久々知という集落があり、その西南に福知山線をはさんで久々知新家の集落があって、この地は地名からみて久々智氏と関係があるとみられる。このように考えると、この氏族は、猪名川はもとより武庫川の本支流のうち、木材の伐採・運搬に便利な地域に居住していたのではなかろうか。そして律令国家の成立にともなって、木材の管理も国家的規模でおこなわれるようになると、猪名川沿いの久々智氏の一族のなかから、下流域に居住する者も出て、その居住地が尼崎市の久々知の地名として残ったのであろう。なお、『姓氏録』の摂津国皇別の項にみえる佐々貴山君(ささきやまのきみ)は、『日本書紀』の顕宗(けんそう)天皇元年の条に、山を管理する伴造としてみえるが、この氏族と久々智氏が祖先を同じにしていることも、今まで述べたことを裏づけている。
また『姓氏録』の摂津国神別の項にみえる山直が、すでに述べた『住吉大社神代記』にみえる山直阿我奈賀と関係があるとすれば、これもまた山林を管理する氏族としてあげることができよう。しかし、佐々貴山君や山直については、あまり材料がないのでこれ以上のことを述べるのはさしひかえよう。