ところで、当時の農民は、農業生産のほかに手工業生産もかなりおこなっていた。これは農民の負担である、調・庸物とも関係するものであるが、では、その状態はどのようであったろうか。つぎにそれを考察してみよう。
律令のうち農民の負担についての規定である「賦役令」には、正丁一人の納める調布は一丈三尺、次丁はその二分の一、中男はその四分の一と定められ、また年一〇日間の歳役に徴発することをたてまえとして、庸布を出すことが定められているが、これは正丁一人につき二丈六尺であった。なお京および畿内は特別な行政区域として庸は免除されていた。したがって摂津国に含まれる宝塚地方の農民は、調布だけを納めればよかったのである。
『延喜式』をみると、摂津国が負担する調の品目として、つぎのような物資が掲げられている。
調、葉薦(すごも)五百枚 折薦(おりこも)千二十枚 明櫃(あかひつ)十合 大明櫃二百三十五合 小明櫃百八十四合 折櫃(おりひつ)千二百九十六合 麻笥(おけ)三口 板笥(いたす)六百三合 円笥(まろす)百二十四合 大笥(おおす)四百五十合 陶燼〓(ほそくりほとき)四口 脚短坏(つき)四十六合 筥坏(はこつき)二百七十二合 水椀(すいわん)三十九合 韲坏(あえつき)七十合 自余輸銭
以上の品目は、薦・櫃・笥・瓮・坏・椀の六種に分類され、この六種類の製品と銭を出すことが規定されている。
これらの製品についてみると、『和名抄』の説明から、薦は席、櫃は上蓋(うわぶた)を開閉できる器、笥は食物を盛る器、瓮は瓦器、坏は盃であることがわかる。このように『延喜式』によると、摂津国から納める調には、木製と陶製の器や道具類が指定されているが、すでにしるしたように、川辺郡には木工技術をもった猪名部や土器製作にあたった贄土師部などの伝承のあるところから、この地方の農民が主として前記の道具類の製作に従事したと思われる。
さて、一般農民が、各自に課せられた調庸などの貢進物を自分で生産したことは当然考えられることであるが、最近の研究では、すでにこの時代にかなり専門的な手工業生産者がいて、それらの製品をつくり、一般農民はその製品を交易によって購入し、国家への貢進物を準備したことが考えられている。そこでつぎにそうした交易面での物資について摂津国で生産されたものについてみておきたい。
摂津国における交易の実情を考えるための材料として、『延喜式』の中の民部式(みんぶしき)に、摂津国の交易雑物として、つぎの品目がしるされている。
摂津国
大麦三石 小麦卅五石一斗 〓子(みのごめ)九斗 薦千五百枚
この品目は摂津国全体に課せられたものであるため、宝塚地方の農民が負担したのはこの一部であろう。また同じ民部式のなかにある交易雑器の項目には、つぎの品目が指定されている。
摂津国
酒槽(さかふね)十七隻[長各八尺広二尺三寸手長一尺] 円槽四隻 槽六口 輿籠五十口 臼八腰 杵十四枚 匏百七十五柄
置簀(おきす)五十四枚
このような道具類が摂津国において交易され、京に送られることになっていた。
ところで、この交易にはどれほどの費用が出されたのであろうか。のちのものとなるが、保安(ほあん)元年(一一二〇)の「摂津国正税帳案」(以下「正税帳案」と略称)に、交易の品目、数量、価格などがしるされているので、つぎにそのなかの民部省に納める年料雑器の項目について掲げてみる。
依例交易進納民部省年料雑器料穀頴四百五十八束一把五分
雑器価穀頴二百九十四束八把五分
酒槽十七隻 直稲(じきとう)百二束隻別六束
円槽四隻 直稲十二束隻別三束
槽六口 直稲六十束隻別十束
輿籠五十口 直稲五十束口別一束
臼八腰 直稲三十二束腰別四束
杵十四枝 直稲九束六把枝別四把
匏百七十五柄 直稲三十二束二把五分柄別三把
置簀五十四枚 直稲二十七束枚別五把
持夫六人 経三箇日単二十二束
功食料頴百五十五束二把五分
一見してわかるように、この「正税帳案」の年料雑器の品目は、前にしるした『延喜式』にみえる交易雑器の品目とまったく一致している。すなわち『延喜式』にみえる交易雑器は「正税帳案」の記載を利用すれば、それぞれそこにしるされた価格で購入されたと考えられ、その物資を京に運ぶには、人夫六人を計三日間やとったことが知られる。しかし、『延喜式』と「正税帳案」にみえる品目が一致していても、『延喜式』の時点で、「正税帳案」の価格であったかどうかは不明である。また『延喜式』よりのちに作成された「正税帳案」が形式的なもので、品目のみを『延喜式』からとって記載したことも考えられるが、前記の値は十二世紀のころの値と考えたい。
「正税帳案」には、交易によって大炊寮(おおいりょう)に納める年料の大麦小麦があり、その品目はつぎのようである。
大麦三石(五斗脱か) 直稲三十五束斗別一束
小麦三十五石 直稲五百三十五束斗別一束五把
〓子九斗 直稲十八束斗別二束
駄二十六疋負駄別一石五斗 賃料稲七十八束疋別三束
これも『延喜式』の交易雑物の品目と大麦・小麦・〓子が一致しているが、価格が同じかどうか不明である。そして残りの「薦」についても「正税帳案」に、交易して掃部寮に進上する年料の薦としてつぎのような記事がある。
薦千五百張 直稲三千束張料二束
駄百二十五疋負駄別十張 賃料稲三百七十五束疋別三束
これによって薦は一張につき二束と考えられるが、「主税式(しゅぜいしき)」にも「凡河内摂津両国交易薦一枚直二束」とあるため、この「正税帳案」の価格が『延喜式』の品目の価格とあまり差のない可能性が多いと思われる。
このように摂津国から国家に納める交易物についてみると、『延喜式』と「正税帳案」は品目において一致している。このほか「正税帳案」には交易して左右馬寮に進上するものとして「野蒭二千斤」がしるされている。
さて、律令国家においては以上のような交易物や、はじめに述べた調・庸などの税負担の他にも、諸国から京に納める物資は多数あった。摂津国について『延喜式』の記載をみると、「典薬寮式(てんやくりょうしき)」の年料雑薬の項に、つぎの四十二種類の薬品を納めるように指定されている。
獨活(うど)・漏蘆(くろくさ)各五斤、知母(やまし)・松脂(まつやに)・桑根白皮各四斤、橘(たちばな)皮六斤、薔薇(むばら)根・烏賊骨(いかのこぶ)各四斤、桔梗(ききよう)廿三斤六両、香〓(いぬあららぎ)七斤、白求(おけら)廿三斤、枳実(からたち)・黄蘗(きはだ)・玄参(おしくさ)・人参・茯苓(まつのほと)・升麻(とりのあしくさ)各三斤、苦参(くらら)四斤、厚朴(ほおのかわ)十斤、杜仲(まゆみのきのかわ)三斤十二両、松蘿(まつのこけ)・〓〓(おにところ)・地楡(あやめぐさ)・桑〓蛸(おきなのふぐり)各二斤、桃花十両、夜干(からすあふき)五斤、茜根(あかね)一斤、蜂房(はちのす)七両、兎絲子(ねなしかずら)二升、薯蕷(やまといも)六升・桃仁(もものさね)一升、車前子(おおばこ)・〓〓子(はまたかね)・蓼子(たで)・蜀椒(はじかみ)各三升、荏子(えのみ)二升五合、胡麻(ごま)子各四升五合、杏仁(からもものさね)一斗九升、鼈甲(べつこう)四枚 鹿角四具、葵子(あおいのみ)大五升、枸杞(くこ)六升、
つぎに「大膳式(だいぜんしき)」には東宮に青〓・干〓を毎日二十五把、荷葉を三十枚、同じく侍従所に青〓(あおかしわ)・干〓(ひかしわ)を毎日十五把用意することになっているが、このうち、青〓・荷葉は大和・河内の二国とともに摂津国も貢進することになっていた。同じ「大膳式」中の諸国貢進菓子の項では、摂津国は、蔔子(ふくし)二担、覆盆子(くさいちご)四担、楊梅子(やまもも)四担、花橘子二担を納めることになっている。
さらに「宮内省式」には諸国所進御贄の項に年中節料として、皮蘭(かわふじばかま)・擁劔(かに)を納めることがしるされている。古代において水産物を納めることを贄といい、神社に対する供御の料を御贄といったが、さきの「正税帳案」にも御贄の項があり、それによれば、直稲八千八百六十束と運送のための人夫の費用に、三百九十四束四把ついやしたことになっている。
また「正税帳案」には、供御の墨五百廷を造進するための費用として百十八束四把六分の穎稲が予定されているが、その内訳としてつぎのような品目がある。
〓七尺〓御墨料 直稲三束五把
調布一丈一尺袋并纒料 直稲二束二把
角膠五十斤 直稲二十五束
紫草六斤 直稲三十六束
薦一枚干御墨料 直稲一束
このような必要物資のほかに、作業に従事する者の食料として白米に三十五束六把、塩に四把四分、海藻に四束七把二分の穎稲が用意された。
以上のように『延喜式』や「摂津国正税帳案」などをみることによって、摂津国から京に多数の物資が輸送されたことが知られるのである。そして宝塚地方の農民たちもこのような物資の生産・交易・輸送の一端をになっていたのである。