では、これらの荘園で、人びとの生活はどのようにおこなわれていたのであろうか。一一・一二世紀、荘園制が普及しはじめたころの農村のおもな生活の手段は、いうまでもなく農業であった。田堵の出現をもって、わが国社会にはじめて農民とよびうる社会階層があらわれた、とまえに述べたが、田堵から名主への展開過程、つまり荘園制が普及していくなかで、わが国農業の特色である高度な集約農業が、方向づけられることとなった。とはいえ、一一・一二世紀の段階では、まだまだ粗放な面もみられた。宝塚市内の荘園に関して特別の材料があるわけではないが、つぎの時代への発展を考えるために、一一・一二世紀の農業の、一般的な特徴を簡単にみておこう。
まず注意されるのは水田はこのころまではかならずしも連年耕作される安定的な耕地ではなかったことである。九世紀以後、田堵や私領主によって小規模の開発がさかんとなり、丘陵地や山あいの谷川沿いのところ、あるいは小さな扇状地が、開発適地とたったことはまえにも述べた。多田荘の一部となった西谷地区はもとより、山本荘・米谷荘・小林荘などは、いずれも荘園の開発適地であったといえる。だが当時の荘園には、「荒田」が比較的多く、また「年荒」「片あらし」などとよばれて一定期間休耕しなければならぬ耕地を含むのが常であった。耕地が「荒田」となるのはもとより種々の原因があるが、旱損(かんそん)、つまり用水の便が得にくいことからくる荒田化の場合が多かった。また年荒は、肥料を施す技術が未熟なため地力の維持ができず、やむをえず休耕せねばならぬ結果発生することが多かったと思われる。
いっぽう畠(はたけ)は、律令制のもとでは陸田と園地に分けられたが、九世紀の初頭まで、朝廷から陸田経営の奨励、とくに大麦・小麦の栽培を技術指導まで付して奨励していることが注目される。そのことは裏をかえしていえば、班田農民には陸田がじゅうぶんに利用されなかったことを意味している。また『延喜式』には、内膳司の管理する畠の耕作に関する具体的な記述がみられ、九・一〇世紀の最高の技術水準をしめしているが、麦に関しては、除草・中耕などもおこなわれない、ばらまきのままの粗放な耕作である。律令制下では畠の利用は、そのような段階にとどまっていた。
ごくおおまかないいかたをすれば、粗放な水田耕作と、畠の利用のふじゅうぶんさとに、荘園発達のころの農業が象徴されている。田堵や名主は、誰の指導でも強制でもなく、みずからの生活を向上させるために、このような状態のなかから農業生産を発展させてゆくのだが、それだけに個々の農民の努力で達成できる方向、つまり集約農業の方向にむかうこととなる。
まず稲の品種に関する関心の高まりがあげられる。「ほうしこ」「ちもとこ」など、特色をもった品種名が、はじめてみえてくるのはこの時代である。また早稲・晩稲のほかに中稲があらわれる。苗代にまくまえに、滲種(しんしゅ)がおこなわれること、根刈りの収穫法が一般化したこと、稲架(いなかけ)による刈りとり後の乾燥法が採用されたこと、などもこの時代に改良・普及された技術である。牛馬耕がようやく普及をはじめることも大きい。農耕に必要な農具は、この時代には農民自身の所有物となったが、一〇世紀にあらわされた『倭名抄』には犁(からすき)・鋤(すき)・鍬(くわ)・〓(さいずえ)・〓(かながき)・馬杷(まぐわ)・櫂(さらい)・〓(えぶり)・鎌(かま)・〓(こずき)・連枷(からさお)などをあげている。犁は牛や馬にひかせる耕耘具である。〓・〓は除草具らしく、田植のあと、除草がおこなわれた証拠となる。馬杷・櫂・〓は、いずれも牛馬にひかせる田植準備のための代掻(しろかき)の道具である。また連枷は回転させながらたたきつける打穀具で、脱穀に利用されたのであろう。脱穀の過程が農業の一過程として分離したのもこの時代で、藁(わら)に籾(もみ)をつけたままで国衙や荘園領主に納めることはなくなった。田堵以来これらの農具は農民自身の財産として蓄積されたのである。
いっぽう畠に関しては、畠に対する課税が一一世紀末、一二世紀初頭の国衙と荘園領主のなかで論争となることが多い。畠作物は大小の麦と大豆が中心である。土地の帰属をめぐって国衙と荘園領主の対立が鋭くなったのがこの時代であったとはいえ、畠利用の進展は、一一・一二世紀を画期とするとみてよいであろう。もっとも水田に対して畠の収穫は低いかわりに課税も低く、そこに田堵や名主が畠の利用に着目した理由の一つがあったと考えられるが、その畠が荘園領主によって確実に課税されるようになったことでもあった。
こうして日本農業の特色である集約農業は発達しはじめた。しかしまだ施肥の技術の発達や普及は乏しく、水田での二毛作の普及は一三世紀の後半を待たねばならない。荘園制が確立した時代の農業は、ざっとこのような段階にあった。この姿は、そっくり市域内の荘園にあてはめてよいはずである。