旗本渡辺氏の長い知行

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 つぎには慶長年間に市域中筋村を知行していた渡辺勝を挙げねばなるまい。勝の父重(しげ)の代には近江国浅井長政に仕えていたが、のち秀吉に仕えるようになった。勝も同様の仕官の道をたどり、慶長三年にはさらに主をかえて家康に仕えることとなった。豊臣政権の時代から徳川氏に帰属したわけで、このとき勝は摂津と上総の両国に知行地三〇〇〇石を与えられている(表18)。摂津での知行地は中筋村を含めてわずか三村であった。尊鉢(そんばち)村(池田市)の一部が延宝四年(一六七六)十二月六日に二分家に分知されているが、中筋村は慶長三年以来、そして江戸時代に入っても全時期を通じて旗本渡辺氏の知行地としてつづいた。市域ではもっともながくつづいた領主である。このことについてはさらにのちに述べる(二七一ページ参照)。
 

表18 慶長3年(1598)渡辺氏(重系)の知行所

国郡村名知行高
摂津石合
川辺郡中筋471.207
豊島郡尊鉢のうち402.810
島下郡479.518
小計1,353.535
上総埴生郡早野(不詳)
上永吉
下永吉
市原郡・望陀郡
3,000.000