片桐貞隆の大名預かり地

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 片桐貞隆についてはすでに前節において天正以来大阪の陣までの所領増加のあとをたどってみた(二三七ページ参照)。彼は大阪の陣後も、慶長十九年(一六一四)六月に与えられた米谷村(一部)の領有をひきつづき認められたが、別に市域の見佐村および小浜村を含む三万石余の幕府直領を預かっていた。
 彼が預かった直領のうち島下・八部郡は省略するが、川辺・武庫郡については表22のとおりであった。のちにのべる代官長谷川藤継が川辺郡北部の直領を支配したのに対し、片桐貞隆は代官建部与十郎の支配地と入り組む形で、武庫郡と川辺郡中部の直領村々を預かっていたといえる。
 

表22 元和元年(1615)片桐貞隆の預かり地

郡村名村高
<川辺郡>石合
見佐8.620
小浜70.000
大鹿411.694
荒牧・荻野1,782.050
鴻池
昆陽1.391.385
千僧237.771
池尻503.258
寺本438.922
山田426.734
南野753.943
野間599.941
西難波833.800
塚口屋敷方68.086
東富松1,372.445
小計8,898.649
<武庫郡>
西昆陽276.820
常松130.503
常吉80.152
時友268.920
段上95.300
広田380.470
越水380.275
862.302
262.202
西宮2,073.200
小計4,810.144
(島下郡村々)9,181.796
(八部郡村々)8,059.148
30,949.737